穢れない蒼さに押し潰されそうだった、7月の狂詩曲



「すみませんさん。ちょっと頼みたいことがあるんですが」

 授業が終わり、解散となった教室から廊下に出たところで呼び止められて、足を止める。担任教師の北原先生が、教材片手に白衣を揺らして立っていて、私はぱちりと瞬きをした。

「なんですか?」
「実は知り合いから仕事のできるいい人材がいないか、と言われてまして。さんに行って頂きたいんですよ」
「私が、ですか?」

 相変わらず微々たる変化もない無表情で淡々と用件を語られ、その内容の突飛さに首を傾げる。・・・何故に私?そもそも、教師がバイトの斡旋をしていいのか?一応この学園、バイトは禁止のはずだが。いやまぁ私は一応許可は頂いている身なので、問題はないといえばないが・・・何故に?不思議そうに目を丸くして、まじまじと北原先生を見つめるが、彼はやっぱり無表情で懐から茶封筒を取り出した。

「えぇ。ここならお眼鏡に適えばバイト代もいいですし、こちらからの紹介ですからそれなりに優遇もされるかと。いいバイト先だと思うんですよ。さんの家の事情は存じていますので、多少なりと手助けになればと思うのですが・・・」
「お気遣いありがとうございます。えっと、でもお眼鏡に適えばって・・・」
「あぁ、一応試験がありますから。多少、厳しいところもあるかと思いますが、何事も経験です。一度挑戦してみるのもいいかと」

 うん?それは落ちる可能性もあるということか?先生の紹介なのに?・・・まぁ、確かに、身内贔屓で雇って使えなかったとなれば迷惑かけるしかないものなぁ。それぐらいちゃんとしている方が安心か。疑問に思ったが、自分の中で納得できる理由を見つけると、少しばかり思案してから、差し出された茶封筒を受け取った。

「折角のご紹介ですし、やってみます。あの、仕事内容はどんなものなんですか?」
「着ぐるみをきてちょっと運動をするだけの簡単なお仕事、だそうですよ。割と小柄で、機転が利く子を希望していますから、まぁ、さんなら条件にあてはまるかなと。試験は明日なので、時間厳守でお願いしますよ」
「はい」

 機転が利くと言うか、あくまで経験則からなのだが・・・まぁ、悪い評価ではないのでありがとうございます、と受け答えながら、バイト先・・・正確には、試験先の地図を貰い、くるりと踵を返した北原先生に頭を下げる。
 学校側からバイトの斡旋をして貰えるとは、ありがたいことだ。さすがに変な仕事は回してこないだろうし、聞く限り、何かのイベントでのアシスタント役といったところか。着ぐるみをきて運動する仕事なんてそれぐらいっきゃない。
 子供向けのイベントなのかなぁ。だとしたら機転が利いた方がいいというのもわかる気がした。お子様は何をしでかすかわからない生きた爆弾だからな。
 まぁ、ある種の人間爆弾的な存在ならもっと他にいるけれども、さておいて。茶封筒を小脇に抱えて、人波もまばらな廊下をてくてくと歩いて行った。





 正直、ちょっぴり嫌な予感は昨日の夜からしていたんだよね。
 昨日、寮の部屋で確認した茶封筒の中身には、地図と一緒に各自持ってくるもの、として何故かTシャツとジャージの明記があったのだ。何故に試験で着替えを持っていかねばならない。筆記があるのならば筆記用具の有無は理解できるが、着替えの有無は理解できない。どういうことなの?と思いつつも、一応明記されているので持ってきたが、この時点ですでに疑いの眼差しを向けていた。
 面接で着替えとか普通いらないよね。なにをさせるつもりなの、と戦々恐々としながらやってきた試験会場では、何故か受験番号の名札を渡され、尚且つ控室まで用意されている始末。
 言われるまま番号札を安全ピンで服に固定しながら、え?人多くない?と内心で目を丸くしつつ、一斉に向けられた視線の強さにびびった。なんだこの敵を見る目は。いや確かにバイトの座を狙う者同士、敵であることは間違いないが別に会社の正社員を狙うわけでもなし、そこまで鬼気迫る必要もあるまいに。睨まれているわけでもないが、値踏みをされているような視線に怪訝に思いつつも、そろそろと机の間を抜けて開いている席に適当に陣取る。
 座れば針の筵状態だった視線もいくらか緩和され、ほっと一息を吐いてあまり見渡せなかった部屋の様子を観察する余裕が出てきた。いやだって、あんまりにも周囲に緊張感があるからさぁ。バイトの面接ってこんなにピリピリしてただろうか。いくらかの緊張感はあるとはいえ、もうちょっと気安かったような気も・・・。
 疑問に思いつつ、視線だけを動かして周りを見る。部屋は広く、軽く三十人は入れそうな規模の部屋で、白い長テーブルとパイプ椅子が整然と並んでいる。
 その椅子の前にまばらに座る受験希望者の数々。ただ、座る人達は皆一様に小柄なタイプが多かった。年齢層に幅はあれど、大体体格的には似たり寄ったりというか・・そういえば北原先生が小柄な子を希望とか言ってたな。面接条件に身長とかの制限があったのかもしれない。あと女子が少ない。・・まぁ、着ぐるみのバイトなんて体力勝負だから、男子が多いのはわかるけどさぁ。私が貰ったものの中には地図と持ち物と時間ぐらいしか書いてなかったが、なんだろう。すごく何か騙されている気がしてならない、と、胡乱な目で周囲を見やった。
 これ、私が聞いてないことがあるんじゃないか?いや、しかし私を騙して北原先生にどんなメリットが?穿ちすぎか?でも嫌な予感がするんだよねぇ。
 うーん?と首を捻ったところで、時計の針が受付時間の終了を示す。しばしの間をおいて、控室のドアが開くと入ってきた男の人が、白い用紙を片手に番号を呼ぶ。あれ、いきなり面接いくのか?説明とかないの?周囲も多少の困惑を残しつつ、呼ばれた番号の人はいい声で返事を返しながら、男性に連れられて外に出ていった。・・・個人面接かー。緊張するなぁ、それは。というかこのバイト倍率高すぎ。北原先生の折角のすすめだけど、こりゃ受かる可能性は低いな。
 それにしても着ぐるみのバイトがこれほど人気だとは・・・よっぽど時給がいいのだろうか。そんなことを考えながら、ごそごそと鞄を漁って教科書を取り出す。いや、開いている時間は好きにしたいいらしいし、それに私が来たのは結構後の方だったので、個人面接ともなれば待ち時間もそれなりだろう。別に学校やら会社の面接にきたわけでもないし、その時間だって自分が呼ばれるまではなにかしら対策を練るために本なり会社の資料なりに目を通すことはままあるので、さして目立つ行為でもない。現に、待ち時間が大分あると見込んだ数人は鞄から本なり薄い冊子なりを取り出して目を通し始めていた。うむ。ここで学校の授業の予習復習でやっとこう。
 ぶっちゃけマジでこのバイトの詳しい話を知らないので、対策も何も取っていないのだ。着ぐるみのお仕事ぐらいしか知らないよ私。きたら簡単な説明ぐらいあるかなって思ったんだけど、一切なかったし。どういうことだ、これ。
 まぁ、なるようになるだろ。一応志望理由とかは当たり障りなく考えてきたし、そう突飛な質問もされないだろうし。・・・されないよね?そういえばこれ先生の推薦だけど、決して北原先生がまともな人間かと言われれば言葉に詰まる程度には奇人だったりするんだよね・・・。というかあの学校に勤めている先生は基本誰もが奇人変人というか、まず学園長があれだからなぁ。うん?ということは、それなりにこのバイトも覚悟しなくちゃいけないということか?あの学校経由だし・・・なにせ持ち物に着替えが入ってるくらいだからな・・・うわぁ。早まったかも。
 もうちょっと吟味してから話を受けるべきだったか?でも、さすがに一生徒にそこまで奇抜な何かを仕掛けてくるとは思わないし・・・。教科書を開いたまま、しかし思考は余所事にトリップして眉間に皺を寄せる。並ぶ教科書の活字もイラストも音楽記号も目には映るけど頭には入ってこない。考え過ぎならいいんだが、と頬杖をついて視線を横に流した。まぁ、考えて手もわかりっこないか。
 結局のところ、そういう結論に落ち着いた私は早々に考えを投げ捨てて教科書に向き合った。どっちにしろ、ここまできて投げ出すことはできない。先生からの紹介でもあるし、さすがに受けずに逃亡なんてできるわけがない。いっそ放り出せればいいのだろうが、逆にこの空気の中席を立って帰るという勇気が出ないのだ。いやー日本人の特性ってこういうとき出るよねー。
 なるようになるだろう。最早諦めに近い投げやりさで教科書の内容に意識を移してしばらく、ようやく私の番号が呼ばれた。時計をちらりと見やって、大分時間がかかるのだな、と思いつつ呼んだ人の後についていけば、どこぞの個室へと案内されて、じゃぁこれに着替えてください、と大きなクマの着ぐるみを手渡された。

「・・・えっと、これに着替えるんですか?」
「はい。実際の動きを見たいので。持ち物の中に着替えがありましたよね?それに着替えて、着ぐるみをきてこの部屋まできてください」
「あぁ、なるほど。わかりました」

 そのために着替えだったのか。そうか、面接というよりも実技だったのか。手渡された両手で余るほどに大きなクマの頭部を抱えながら、普通やんねぇよ、と内心で突っ込みをかます。いや、やるけどさ。出て行ったスタッフさんを見送った後に、荷物の中から着替えを取り出してシャツの丸首から頭を出しながら、しかし、ただの着ぐるみバイトで動きを見たいってどういうことなんだろう、と首を傾げる。そんな激しい動きすんの?着ぐるみで?いや、某キッズ番組で緑色をした恐竜の子供は色々やってたけど・・・でも着ぐるみでそんなアクションとか、ねぇ・・?しかもこれクマだし。マスコットだし。もふもふの黄色みがかったクリーム色の毛足をしたクマの胴体に足を突っ込んで、後ろのジッパーをじじじじ、とあげながら、両手を腕に通す。それから、間接の曲げ伸ばしや屈伸などを行い、手足の動きの確認をして、ふむ、と頷いた。見た目の割に動きやすいっちゃ動きやすいけど・・・でもやっぱり動作に違和感があるな。これでこのクマの頭被るんでしょ?視界も狭いし、何より重たい。どれだけの動きを求められているのかわからないが、こりゃ大変だぞ。

「てか、なんだこのドヤ顔」

 なんとも言えない、まさしくドヤァ・・・とばかりの顔をしたクマに、可愛さの欠片もねぇ!と思いながら、これでマスコットになるのだろうか?と首を捻った。・・まぁ、最近はゆるキャラとしてよくわからないキャラが蔓延っているので、これはこれで味があるといえばあるが、そこはかとなく苛っとくるのも確かだ。何故クマにドヤ顔をされなければならんのか。いやこれ被るの私だけど。
 まぁ、昨今妙なところに人気は集まるので、これはこれできっと今の流行というものなのだろう、と思いながら頭からスッポリとクマの顔を被る。
 着ぐるみを着た時の暑さもさることながら、よもやの着ぐるみの仕様に汗が止まらない。くっそ、マジでこの仕事嫌な予感がする。いや、でもまだ受かったわけじゃないので、適当に動けばいいか、と自分を宥めていそいそと個室から廊下へと出る。うむ。やっぱり視界が悪いな頭も重たいし・・・固定されている分振り回される感じが少ないが、やっぱりちょっとなぁ。そう思いつつ、指定されていた部屋の前までくると、着ぐるみ姿のままノックをする。あれ、傍から見たらすごいシュール。コンコン、とノックをした後、返事を待つが、いつまで経っても返ってこない。あれ。どうしよう。聞こえなかったのかな?もう一度ノックすべき?片手を持ち上げたまま、再びノックをするべきか否か、迷うように手を揺らして、しょうがないのでもう一度ノックをした。コンコンコン。三回、きっちりと、強めに叩いたので中まで音は聞こえているはずである。

「・・・」

 しかし、応答はなかった。これは部屋を間違えたのか勝手に入ってこいということなのか・・・。少し考え、とりあえず開けてみよう、とドアノブに手をかける。がちゃりとノブを回して、ゆっくりと中の様子を伺うようにドアを開けた瞬間、がちゃり、と、着ぐるみの米神に何かを押し付けられた感覚を覚え、ぴたりと動きを止めた。

「ふざけた格好しやがって・・・おい、こいつも縛っておけ」

 低い男の声がして、無理矢理腕を掴まれて中に引きこまれる。着ぐるみ越しなので別に痛くはなかったが、突然の出来事に抵抗する暇もない。きっと着ぐるみのせいで表情はわからないだろうが、今の私の顔は驚きを通り越して真っ青になていることだろう。背中を乱暴に突き飛ばされて蹈鞴を踏む間で、ガチャリとドアの閉まる音がする。こけることはなかったけれど、広い部屋に突き飛ばされて真ん中に進み出た私は、茫然としながら着ぐるみの中で、辺りを見渡した。
 部屋の隅っこに集められた人だかり。手足をガムテープでぐるぐる巻きにされていて、三角座りで小さくなって固まっている。並べてあったのだろう机は端に避けられていて、広いスペースを確保されているが、拘束されている人達の横には服こそ黒系統のものが多いが、至って普通の服をきた男が二人、挟むようにして立っている。その手には、黒光りする物騒な鉄の塊が。有体に言えば拳銃とかマシンガンとか呼ばれるような飛び道具が握られているわけで、凶器の存在に気が付いた時には、息を呑んだ。・・・・え?

「あんたも運が悪いね。なにもこんな時にこの部屋こなくってもよかったのになぁ」

 そういって、目だし帽を被った男がにやついた口元を晒して、茶色いガムテープを片手に私の目の前に立った。・・・えぇ、と?思わず両手を上にあげながら、頭の中で現状を整理する。怯えて拘束される人々。その横に武器を持った怪しい目だし帽の男たち。突きつけられる拳銃と、拘束目的のガムテープ。うん。これは。

「・・・強盗?」

 ぼそり、と、着ぐるみの中に反響する程度できっと外には漏れ出さないだろう声量で、ぼそりと呟いた私の頬を、着ぐるみに籠る熱気のせいなのか、それとも緊張故の冷や汗なのか――判断のつかない汗が、たらりと流れ落ちた。嫌な予感って、これのことだったのかしらー・・・?