穢れない蒼さに押し潰されそうだった、7月の狂詩曲
あ つ い ・ ・ ・ ! !
額にじんわりなど生温い。すでに許容量を超えた汗は額から滑り落ちて頬を伝い、顎先に溜まるとぽたぽたと落ちる程度には多量に分泌されている。
瞬きする度に睫毛に溜まった汗が目に入りそうになるぐらいだ。髪の毛で覆われた頭部も然り。きっと中は蒸れに蒸れて汗でぐしょぐしょだろう。触って確かめることができないのが残念だ。いやそうでもない。
吐く息さえも熱を帯び、着ぐるみの中はさながらサウナ状態。汗臭い。息苦しい。Tシャツの襟ぐりも背中もすでに汗でぐっしょりと濡れそぼっている。ちょっとねぇそろそろ私熱中症なりなんなりでぶっ倒れそうなんだけど。
いささか思考の方も朦朧としてきたような。いや大丈夫まだ大丈夫、イケルイケル。うん。・・・・・・・お願いせめて上半身だけでもこの着ぐるみを脱がせて・・・!
寿さんと美風さんが強盗犯に連れられて、彼らの傍らで事務所との交渉を眺めている、のを眺めながら、私は強盗犯とは別に迫りくるわが身の危機に唇を噛みしめる。あ、しょっぱい。舌の上に感じる塩味に、スポーツドリンクが飲みたいなー、と現実逃避を行いつつ、ぐっと力を込めた腕先の感触に目を細めた。いや汗が落ちてきて目に入りそうだったとかそんな!
ガムテープを緩めるために何度も動かした腕が倦怠感を覚える頃、最初の頃よりも緩くなったように思う手首の拘束に、ぐっと掌を細く窄めることで手首との太さの差をできるだけ小さくし、着ぐるみの「中」で腕を引き抜いた。
いやだって、ガムテープだから着ぐるみにべったり粘着部分が張り付いてどう足掻いても取れないんだよ。これがビニール紐とか縄とかならいいんだけどねぇ。腕が一本抜ければおのずと紐は落ちるだろうから。今回はガムテープなので無理だけど。元々着ぐるみ分の厚みがあるせいか、多少手首と掌の太さに差異が出ても問題なく引き抜けたのはありがたい。本来であれば、縄抜けを行う場合には手首を鍛え、太くしておく必要がある。掌を細くしたとき、手首との太さがほぼ同一になっていれば、引っかかることなく引き抜けるという寸法だ。
あとは仕込み道具による切断が一般的である。・・あ、いや、忍者社会のね?本来、忍者の手首の下にはしころと呼ばれる小さな刃物を隠し持っていることが多く、それを使い縄等を切って縄抜けすることが常識なのである。そりゃ、切れるものがあれば一番手っ取り早いわけだしね。ただ、普通に現代社会に生きていてそんなものを仕込んで生活している人間なんているわけないんだから、まずこの時代においては「ありえない」縄抜けの方法であることは確かだが。
もしもそんなもの仕込んで生活している人がいればそれはマニアとかの範疇を越えたちょっとアブナイ人じゃなかろうか。
さておき、あと縄抜けの方法といえば、筋肉そのものを縛られる時に張りつめさせ、縛られた後筋肉を弛緩させればその分「隙間」ができて縄抜けもしやすくなる、という方法もあるのだが・・・まぁこの方法は大分鍛えた人間でないと無理なので、女性には不向きな方法である。
関節を外してどうこうっていうのはぶっちゃけフィクションに近い。いやまぁ、できないことはないんだろうけど、普通に関節を自分から外すってめっちゃ痛いよ?痛い上にできるかどうかもわからんし。しかもそのあと嵌め直すってのも難しいし、やったところで外した関節部分を動かすことになれば相応の痛みは伴うし、動かしにくいことこの上ないだろう。うん。これは本当におすすめしない。ていうか常識的に考えて、できることじゃない。
さて、そんなことよりも、だ。両腕を拘束するテープ部分から引っこ抜いたのはいいのだが、問題は後ろ手に拘束されているので着ぐるみの腕部分から腕を抜くことが難しいってことかなー!ていうか後ろ手に縛られてんだから、袖から腕を引き抜くことはほぼ無理なんだが・・・幸い、というべきか、着ぐるみの腕の部分はそれなりにゆったりと余分があるように作られており、何より素材そのものが柔らかい。動きやすさを重視した結果、軽くて柔らかい素材が採用されたのだろうと思う。製作者グッジョブ!
片手で片方の着ぐるみの腕を掴み引っ張りながら、肩口を無理矢理に引き寄せつつ、かなり四苦八苦しながらもなんとか腕を引き抜くことに成功する。うおおおおかなり無理な体勢でやったから腕痛いけどやった!やったよシナ先生!縄抜け成功ですーーー!・・・なんて、一人感動に耽っている場合ではなかった。運のいいことに、一人だけ異様なドヤ顔のクマの着ぐるみ姿は嫌でも視界に飛び込んでくるだろうに、私の不審な行動は(もぞもぞごそごそ結構動いていたと思うのだが)携帯電話による交渉で夢中な奴らには気付かれなかったらしい。まぁ、彼らにとっての正念場といってもいい場面だものねぇ。しかし複数人いるんだからもうちょっと目を光らせておけよ。いや、ありがたいけども。着ぐるみの中でとはいえ、解放された両腕にほっとしつつ、寿さんの顔に携帯を押し付けて、どうやら相手側に寿さんや美風さんが本当にいることを伝えている様子の犯人を尻目に、ドヤックマの中で体を捻らせ、内側からファスナーをジジィ、とゆっくりと下していく。壁際に寄っといてよかった。周りは犯人グループとアイドルである二人に注目していてあまりこちらを見ていないのか、私の行動を見咎める人がいない。・・・この着ぐるみ目立つと思うんだけど、案外皆視界にいれないものなんだな・・・いや、それ以上に強盗の近くにいる華やかな容姿の二人が心配でそれどころではないのかもしれない。下手を打てば怪我どころじゃすまないかもしれないし。美風さんの表情にさほどの動揺が見られないのが気になるが、それを補って余りあるぐらいには寿さんの動揺っぷりが凄まじい。事務所の人と会話をしているせいか、顔がうるさいって、多分あんな感じかなぁ、と思う程度にはコロッコロと変わっている。なんて対照的な二人なんだろう。しかし美風さんのあの余裕っぷりは何事だ?只者じゃないな、あの人。あれ、演技とかじゃなくてマジであんまりびびってない顔だよ。顔色やら表情やらに変化がなさすぎる。クールビューティ通り越して逆に怖いよね。
そんなことを考えていたが、開いたファスナーから入ってくる涼風に、一瞬にしてそんなことは消し飛んだ。涼しい・・・!その事実に、思わず涙が出るほど感動した私は、大分この蒸し暑さにやられていたらしい。いやでも極度の緊張を強いられている上にサウナ状態の着ぐるみの中、清涼感溢れる外の空気に感動して何が悪い!あぁ、風が冷たい!汗臭く籠った着ぐるみの中が洗われていくようだ・・・!このまま着ぐるみを脱ぎ去ってしまいたい衝動に駆られたが、さすがにそんなことをすれば目立つ上に縄抜けしたことも普通にばれてしまうので却下だ。しかし、余計にこの着ぐるみを早く脱ぎたくて仕方なくなってしまった。早期の事件解決を求む。
ちょっとの間、外の新鮮な空気を堪能してから、半分ほど下したファスナーから腕を出して、ドヤックマの腕に未だ張り付いたままのガムテープをぺりぺりと剥がしていく。音が目立たないように、慎重に、ゆっくりと。・・・てーか、これクラフトテープやん?千切れるな。剥がすより断然早い事実に思い至ると、両腕を動かせるように真ん中部分を力を籠めてビリビリ、と引き千切る。
これで着ぐるみを着ていても腕は動かせるようになった。うむ。いざとなったら一応動けるようにはなったな、と頷いて、非常に名残惜しく思いながら、ファスナーをジジィ、とあげていった。再び薄暗闇と息苦しい閉塞感を感じながらも、解放された着ぐるみの両腕にもう一度腕を通して、後ろに手を回し捕まっていますよ演技を続行する。丁度そのタイミングであちらの交渉も終わったらしく、美風さんと寿さんが乱暴に背中を押されてこちらに戻ってきた。果たして彼らの交渉はうまくいったのか・・・。向こう側も下手に拒否することはないと思うけど・・・。
まぁそこら辺は私には関係ないわな。犯人グループをあまり刺激せずにいてくれれば、今の所わが身は安全だし。壁にもたれ、さながら中の人なんていませんよ!とばかりに微動だにせずにいると、背中をどん!と押された寿さんが両腕を後手で拘束されていることも手伝ってか、足元を縺れさせ、バランスを崩して倒れこんだ。顔面から。
「いた!ちょ、アイドルは顔が命なのに!!暴力はんたーい!」
「嶺二の顔ぐらいなら別に大丈夫じゃない?」
「アイアイ!?ここ心配して声をかけるところだからっ」
「うるせぇぞ!なんでお前らそんなに余裕なんだよ。馬鹿なのか!?」
拳銃をチラつかせて、漫才か!と言わずにはいられないやり取りに突っ込みをする強盗に思わず頷いた。本当に、なんでこんなに緊迫感が薄いの?この人達。
倒れこんでまるで芋虫のようにうごうごと動いている寿さんを、美風さんはまるで本気でそう思っているかのような真顔で小首を傾げている。仕草は可愛いけれど、言っていることは大概酷い。いやいや、寿さんも結構なイケメンですよ?
まぁ、なんというか、全体から漂う残念臭は如何ともしがたいが。なんだろうな・・・二枚目路線じゃなくて、三枚目路線なんだよなー・・・。ムードメイカーとも言うけれど。
「とっとと座れ!大人しくしてねぇと今度こそぶっ飛ばすからな!」
そういって、ややキレ気味の強盗は拳銃を寿さんに向けながら、肩を怒らせて踵を返した。その様子を見送りながら、はぁい、と小さな声で返事を返した寿さんは、大人しく座った美風さんの横に這うように移動して腹筋を使って上体をふんす!と気合を入れて起こした。何故全体的に動きがコミカルなんだ、この人。
「怒られちゃったねーアイアイ」
「主に嶺二のせいでしょ」
「アイアイの対応も大概だと思うよー?」
どっちもどっちだよ。聞こえてくる会話に内心で突っ込んでいると、他の人質になっている人が心配そうに寿さんに話しかけていた。
「大丈夫ですか?寿さん、美風さん」
「ん?だーいじょーブイ!向こうも人質をどうこうする気は今の所ないみたいだし」
「金銭目的なら、少なくとも有効的だと思われてる僕と嶺二は命の危険そのものは薄いよ。多少の怪我はどうかわからないけど」
「えぇ!?あ、でも、そうですよね・・・」
にこ、と笑って捕まって先ほどまで強盗の近くで犯罪の交渉役に使われていたとは思えないほどあっけらかんとした物言いに、私はシャイニング事務所のアイドルって、と唸らずにはいられない。・・・度胸ありすぎでしょ、この人達。
美風さんに至っては表情すら変わらずに冷静に現状の把握ときた。あの、私、この状況で普通でいられる自信はありませんよ?今の私は、まぁ、色々あった私だから割とのほほんと構えてはいられるけども。本来ならば周りの人達のように顔面蒼白にして早く嵐よ過ぎてくれ、と小さくなってばかりだろう。いっそ呑気な、とも言えそうな会話を聞きながら、この麻痺したかのように図太くなった神経に溜息を零す。喜ばしいこととは、どうにも思えないんだよなぁ。
「あの、事務所の方はなんて・・・?」
「とりあえず要求は呑むみたい。まぁ警察にも連絡いってるだろうし・・・大丈夫だって!」
「社長がいるんだから、その内全員捕まるんじゃない?」
『確かに』
美風さんがさらっと言った一言に、思わず、といったように三人の会話に聞き耳を立てていた周囲も同意の声が漏れたところで、私は思わず明後日の方向をみて遠い目をした。いや、なんというか・・・学園長・・・・。あなたの認識は一体どうなっているんですか。でも物凄く納得できちゃう辺り、やっぱりあの人の安定感は抜群だ。安心感とは言えないけれど、なんていうか、あの人ならなんとかしちゃうんじゃね?あの人だし。と思える辺りはさすがとしか言いようがない。警察が捕まえる、じゃなくて学園長が捕まえる、って辺りで皆なんかほっとしているから、まぁ・・・結果オーライ?
張りつめていた空気がまるで魔法の言葉を聞かされたかのように(ある意味魔法そのものだ)落ち着きを見せて、周りの表情がなんとなく明るくなったような気さえした。この場にいないというのに、警察以上に周囲に及ぼす影響力は計り知れませんな、学園長は。普通人の安心感とは市民の絶対的な味方であるはずの警察に寄るものだろうに、こと芸能関係者にしてみればシャイニング早乙女こそ絶対なのかもしれない。伝説のアイドル半端ない。その内この天井の裏とか壁とか床から突然出てきて強盗をバッタバッタとなぎ倒しても不思議は・・・。
そこまで考えたところで、コンコン、と突然部屋の中にノック音が響いた。
一瞬にして張りつめる空気。視線が一気に扉に集まると、三人で固まっていた強盗は素早く拳銃を構え、目だし帽から視線を動かして互いに目配せをしあった。
私たちも、強盗と、ノック音がした扉を交互に見やりながら、息を潜めて身を寄せ合う。この状況で、ノック音・・・?明らかに、罠だ。誰でも考え得る可能性を導き出し、成り行きを息を詰めて見守っていれば、強盗たちは話がまとまったのか、一人が拳銃を構えつつ、ゆっくりと扉に近づいた。
マシンガンでも持っていれば遠距離でも扉に向けて威嚇発砲の一つも可能だろうが、彼らが持っているのはあくまで拳銃であって、マシンガンなどではない。扉に発砲しても、あまり効果はないだろう。無視することも一つの手だが、ここで確認を怠って何か予測不可能な事態に陥っても問題だ。
それならば、警戒を怠らず行動した方がまだマシというもの。残りの二人も、人質を見張るようにこちらに近寄り、私たちの前に立つと扉に拳銃を向けつつじっと様子を見ている。
・・・今のうちにこの二人後ろからやったらいいかな、と明らかに背後に注意を払っていない無防備な背中を見つめていると、ゆっくりと扉に近づいて行っていた強盗Cが、その扉に手をかけた。その瞬間。
バン!!!
ビュオオオオオオオオオ!!!!
「ぎゃああああああ!!!?????」
強盗Cの目の前でまるで痺れを切らしたかのように勢いよく開けられた扉から、何故か!雪と氷の突風が強盗Cに襲い掛かる!!何故!?
突然の(突然にもほどがある)氷雪の嵐に驚愕の悲鳴をあげた強盗Cに、私たちの前に立って警戒していたはずの強盗AとBも反応できずに茫然と突っ立ったままだ。むしろ私たちも茫然としたままだ。なにせいきなり、人でも銃弾でも発煙筒でもなく、吹雪である。どうして。なんで。どうやってこんな自然現象が室内で!?どんなに警戒していようと、いきなり氷雪が襲い掛かるとは誰も考え付くはずがない。だからこそ、驚きすぎて硬直してしまった強盗たちの心情は、察して余りあった。着ぐるみのせいで防寒対策は万全だが、恐らくこの部屋の中は今きっと物凄く寒いんだろうな・・・。やや現実逃避のように目の前の超常現象を眺めていると、扉の影から何かが凍りつく(文字通りの意味である)強盗Cの横を駆け抜け、突然の事態に茫然としている強盗AとBに肉薄する。あれは・・・!
「龍也先輩!」
歓喜の声をあげたのは、誰だっただろう。多分寿さんだったように思う。声が特徴的だからそう思い至りつつも、目は流れるような動作で強盗Bに肉薄したスーツ姿の偉丈夫・・・日向先生へと吸い寄せられた。
「はぁ!!」
「ごふっ」
気合いの声と共に、彼はその長い手足を駆使し、全く反応できずにいる強盗Bの腹部に強烈な一撃を叩きこむ!ずどむっ、と見るからに威力のありそうな拳を無防備な腹部に受けた強盗Bは体をくの字に折り曲げ、痙攣しながら床に倒れこんだ。どさっと、仲間が床に倒れこむ音が聞こえた時点で、やっと事態を飲み込んだのか強盗Aが半ば混乱したかのように、拳銃を構えて日向先生に向かって発砲した!きゃあぁ!と悲鳴がそこかしこからあがるも、私は目の前の光景に息を呑んで目を見開く。なんと、日向先生、銃の軌道を読んでいたのかはたまた混乱した強盗Aから銃弾の狙いが甘いことをわかっていたのか、全く怯みもせずに突進したのだ!ちょ、あの人何者!?驚くこちらなど知りもせず、がむしゃらに発砲しようとする強盗の懐に入った日向先生は、強盗の手首を掴み、捻りあげ、拳銃をその手から奪い取ると、そのまま掴んだ腕を捩じりあげて床に引き倒した。その上で強盗Aの上に乗り、体重をかけて動きを封じたところで、奪い取った拳銃の持ち手の部分で強盗の米神をがつんと殴打。う!と呻き声をあげて、強盗は床にうつ伏せになって沈黙した。まるでドラマシーンそのものの流れるような捕縛術である。鮮やか、と賞賛せずにはいられない動きに、私は元より、周囲も一切の言葉がない。沈黙が室内を覆ったところで、扉の方から声がかけられた。
「おーおーさすが龍也さん。一撃で仕留めるとか、相変わらず半端ねぇな」
「ふん。この私がサポートをしたのだから当然の結果だな」
「あぁ、ありがとな。お前たち」
凍りつく強盗Cの影から出てきたのは、銀色の髪をしたオッドアイの青年と、長髪に白スーツ、片手にロッドを持った美丈夫。どっちもイケメンだが、見覚えがあるような。というか、スーツ姿の日向先生は警察とかSPとかそっち系の人に見えるからこの場でもさして違和感はないが、黒チェッカー模様のベストに皮のパンツ、更にごついブーツのハード系の服装と、ホストみたいな白いスーツに、大きな宝石のついたロッドって出で立ちは、ぶっちゃけ浮いてる。浮きまくっている。
うわぁ、できるだけお近づきになりたくない感じだなぁ、と思いつつ、誰だったかな、と記憶を探っていると、その思考をぶった切るように、ランラン、ミューちゃん!と歓声が聞こえた。
「二人とも助けにきてくれたんだねー!やっぱり持つべきものは友達だよね!」
「うるせぇな。偶々だっつーの」
「早乙女の命令で来ただけだ。でなければわざわざこんなところに足を運びはせん」
「まぁ、助かったよ。僕たちだけじゃどうしようもなかったし」
どうやら、寿さんと美風さんはこの二人とそれなりに親しい間柄らしい、ということはシャイニング事務所のタレントか。日向先生とも親しそうなのだから、それなりに古株どころと思われる。はしゃぐ寿さんを鬱陶しそうに睥睨したオッドアイの青年は、倒れている強盗に軽く蹴りを入れつつ眉間に皺を寄せている。
白スーツの長髪さんに至っては、甚だ不本意である、という態度を隠しもしないで鼻を鳴らしているぐらいだ。気位高そうだなぁ、なんか。そう思いつつ、じぃ、と二人を眺めて、ついでに寿さんの呼びかけを思い返す。確か、ランランとかミューちゃんとか・・・あ、あー。なんとなく思い出してきた。あれだ、アイドルロッカーの黒崎蘭丸と、セレブ系外人アイドルのカミュ、じゃ、ないかな?多分。セレブ系?貴族系?まぁ、金持ち風ってことで。
あんまり注視して彼らを見たことがあまりないせいで割と朧げな記憶だが、間違いではないだろう。いや、でも、カミュさんってあんな性格だったっけ・・・?首を捻り、うーん、と眉間に皺を寄せる。少なくともテレビなどで見た時の彼は、非常に紳士的な態度だったと思うのだが・・・今は明らかに周囲を見下す王様風だ。なんだこれ詐欺だろ。いくらテレビ向けの顔を作っていたとしても、これはひどい。
それにしてもシャイニング事務所。なにをしていらっしゃるのか。平然と会話をしている五人と、助かった様子に肩の力を抜き始めている周囲を一歩引いた目線で見ながら、非常識な人達だ、と脱力を覚えた。
なに自分のところのアイドルを犯罪現場に登用してるんだ学園長。何かあったらどうするんだ。一応この人達素人でしょ。プロに任せろよ警察の立場ないだろ。
というか、拳銃持っている相手に対して丸腰の人間を突入させるとか!そしてそれを実行する日向先生も日向先生だ!そしてそれについてく黒埼さんもカミュさんも、全くもって危機管理能力がなってない!馬鹿じゃないの、と苦い顔をして、誰か止める人間はいなかったのか、と頭を抱えたくなった。日向先生なんか、事務所の稼ぎ頭で尚且つ学園のSクラス担任だぞ。社会的地位も名誉も個人の尊厳だって多いに持っている大人物だ。何かあったら本当にどうするつもりだったんだ、学園長は。下手したら死ぬ可能性だってあるっていうのに!!
いやそりゃ、さっきみた動き然りあの超常現象然り、勝算あってのことだとは察することはできるが、それにしても、普通行うべきことではない。いくら動けても強くても魔法みたいなものが使えても、彼らはプロではないのだから。死線を潜り抜けたわけでもない、一般人。それは覆すことのできない事実のはずである。・・・後で学園長に抗議文でも匿名で送ってやろうか。人の命をなんだと心得ている!内心で憤慨していると、日向先生は気絶した強盗を放り捨てて寿さんと美風さんに近寄り、その少々厳めしい顔つきを、ほっと安心したかのように緩めた。厳しかった顔が、ちょっと目元の力を緩めるだけでこの上もない包容力を醸し出すのだから、日向先生の幅広さには感服する。ほら、周りのスタッフのお姉様方の目がハートになってますよ。まぁ、強盗ぶちのめした時からすでにハートを鷲掴みの状態ぽかったけど。
「なんにせよ、無事そうで何よりだ。災難だったな」
「龍也せんぱーい!ちょーかっこよかったです!」
「それより、早くこのガムテープ解いて欲しいんだけど」
「あぁ、そうだな。ちょっと待ってろ」
軽く微笑みながら、寿さんの傍らに膝をついた日向先生に、寿さんは目をキラキラさせて賞賛の言葉を浴びせる。まるで憧れの人に会ったかのようなテンションの高さである。元々あの人テンション高いけど。マジリスペクトっす!みたいな、そんな空気。その気持ちはわからないでもないが、個人的には日向先生、無茶しすぎ、と溜息が零れる。例えば神宮寺君とこの執事である円城寺さんみたいな人ならまだしも、一応あの人も一般人のはずなのである。過去には不良の総長だなんて話もあるが、それでもまさかヤのつくご職業になったわけでもない精々が学生の不良程度であるはずの経験値で、銃を持った相手に一切怯まないって、肝が据わっているとかいう次元を超えているような・・・。いくら武器の類に免疫のある私といえども、さすがに真向からあんなもの向けられて怯まずに突進できるような神経は持ち合わせていない。しかも発砲もされているというのに、マジで日向先生何者なんだ。学園長の下で一体何が行われているんだ・・・!一ノ瀬君たち、こんな事務所に入ってちゃんとやってけるのかな・・・考え直した方がいいんじゃないかな・・・。
そんな他人のことながら一抹の不安を覚えていると、ガムテープの拘束を解かれた寿さんと美風さんが、手首を回したり伸びをしたりと、解放感に浸っていた。周囲も助かったという事実を受け入れ始めると、徐々にその顔に安堵が広がっていく。室内が強盗という恐怖感から解放され、安堵感に包まれた頃、カミュさんは携帯で警察か事務所か知らないが、どこぞに連絡をいれていた。うんまぁ、無事に解決したら連絡いれるのは普通だもんねー。そう思いつつ、人質の解放よりも先に犯人を拘束するべきではなかろうか、と倒れている強盗と、出口付近で氷漬け(そういえば誰がこれやったんだろう・・・)になっている強盗を視界に入れた瞬間、私は反射的に駆け出した。
「なっ」
「えっ」
ぎょっと目を見開いて体を引いた彼らの間を駆け抜け、私は氷漬けからいつの間にか解放されていた強盗が、こちらに向けて銃を向けようとしているその片手に向けて爪先を蹴り上げた!ひゅっと、風を切りながら着ぐるみのふわもこ且つどでかい足先が、驚愕に見開いている強盗の無防備な拳銃を持つ手を跳ねあげるように蹴り飛ばし、持ち手の尻を蹴られた拳銃が空を舞う。そのまま、跳ね上がった腕によりがら空きになった脇腹に向かって足を一歩踏み込み、大きな熊の手で掌底を脇腹に叩きこむ。どん、と堅い感触が着ぐるみの腕越しに伝わり、ぐぅ、と唸ってくの字になった強盗の横っ面を続けざまに裏拳で殴打する。恐らくは、着ぐるみのせいで露骨に骨がぶつかりあうことはなかったようだけれど、威力はそれでも十分なようだった。
どさぁ、と頬を殴打された力に逆らえず横倒しに強盗Cは床に倒れこんだ。呻き声をあげながら吹き飛ばされるように倒れ込んだ強盗の横に立ち、大の字に転がる姿を見下ろす。さすがに、日向先生ほど一撃必殺の威力は見込めないか。急所でも狙わない限り、私にはそれほどの力はないからなぁ。別段今生で体を鍛えていたわけでもないし。そう思いながら、気絶させることができず、痛みに唸っていた強盗が見下ろすこちらに気が付き、顔を向けるとひぃ!と悲鳴をあげた。その恐怖に染まった顔を見下ろしつつ、私はあ、これまだ結構元気だ、と悟って、無防備に晒されたお腹に向かってどん!と鳩尾に足を振り落した。全く腹筋に力の入っていない腹部に、情け容赦ない力で落とした着ぐるみの足は、抉るように男の内臓を踏みつぶす。ぐえぇっ、と、男の口から唾と悲鳴が零れ落ちると、反射的に跳ね上がった四肢がばたりと床に落ちて、沈黙する。ぐったりと体中から力を抜けたかのように動かなくなった強盗にほっと息を吐いて、私は胸を撫で下ろした。危なかった。あんな油断しているところで発砲なんかされたら、確実に誰か怪我してた。下手したら死者が出ていたかもしれない。危ない危ない。間一髪。よく動けた私。中々、前世の反応はまだまだ健在のようである。力そのものは、さすがに昔のようにとはいえないものの、これだけ動ければ上々というものだ。にしてもこの着ぐるみ、思っていたより動きやすいんだな。あくまで想像していたよりというだけであって、動きにくいことに変わりはないが。・・・いいことなのか悪いことなのか・・・・。
複雑な気持ちでふぅ、と息を吐き、私はきょろきょろと辺りを見渡して長テーブルの上に乗っているガムテープを見つけると、それを手に取り強盗の腕を後ろにまとめてガムテープでぐるぐる巻きに拘束する。やっぱりこういう相手は真っ先に拘束するべきだな。気が付いたら何をしでかすかわからん。勝って兜の緒を締めろ、というわけではないけれど、目的達成後が一番油断していることは確かだ。最後まで油断しないようにしないと、本気で危ないからなぁ。しみじみと思いながら、淡々と作業をこなし、ポカンと突っ立っている日向先生たちを振り返る。
ん?なんですか皆してこっちを凝視して。まるで異様なものを見たかのように周囲の視線が自分に集まっている状況に気が付き、私は思わず首を傾げる。
物凄く、異様なものを見たかのように注視されている。微妙に寿さんとかの表情も引き攣っているような・・・。え?なんで?あれ、私、そんなに可笑しな行動した?やってることはさっきの日向先生たちとさして変わらないはずなんだけど・・・。ただ強盗を殴り倒しただけであって、そんなに変なことをした覚えはないんだけど・・・何故そんな目でこちらを見るのかね諸君。
何故注目を集めているのかがよくわからず着ぐるみの下できょときょとと瞬きを繰り返しながら、とりあえずこれ以上不用意なことが起こらないためにも、とガムテープを日向先生に投げ渡す。それまで茫然と私を見ていた日向先生は、それでもさすがの反射神経というべきか、飛んでくるガムテープを反射的にしては危なげなくキャッチし、え?とばかりに目を丸くする。ガムテープと私を交互に見やる日向先生に、いや、だからさぁ、とばかり肩を竦めて首を横に振った。茫然としてないで強盗拘束しときましょうよ。さっきみたいなことになったら大変ですよ?そう言おうかとも思ったが、なんだか物凄く微妙なこの空気感に声を出すのは妙に気が引けたので、なんとなく無言で指で強盗を指し示しながら促してみると、意図をようやく掴んだのか、日向先生はあ、あぁ、と挙動不審気味に頷いて、強盗の拘束に取り掛かった。
私と同じように、強盗の腕を後ろに回してぐるぐると人質と同じようにガムテープで拘束していくその様子に、これでとりあえず一件落着だなぁ、と肩から力を抜いて、私は着ぐるみの下で、ようやくほっと深く息を吐いた。
この後警察やらなんやらごたごたがあるに違いないとはいえ、とりあえず目下の危機はこれで去った。あぁ、本当に。
「早くこの着ぐるみを脱ぎたいなぁ・・・」
そして私に本当の自由をおくれよ。ファンファンファンファン、と遠くから聞こえるパトランプの高い音に耳をすませながら、私は切実な呟きを零したのだった。