穢れない蒼さに押し潰されそうだった、7月の狂詩曲



 四ノ宮君と手を繋ぎ、廊下をモーゼのごとく割りながら突き進んだ数十分の悲劇。何が楽しゅうて女装男子を侍らせて廊下を闊歩しなければならないのか・・いやある意味面白いけど苦痛でもあるよね。うん。
 さておき、案内された教室で、四ノ宮君がさびた音も立てない重厚な木製のドアを引き開いたところで、私は思わずくっと目を細めた。
 部屋中に並ぶ色とりどりの衣装の数々。多数のスチールハンガーにかけられた様々な衣装は整然と並び、日常生活ではまず着そうもない、舞台衣装と呼ぶに相応しいものもあれば、どこぞのブティックのようなおしゃれ着もある。
 一際目を引くのは中世ヨーロッパの貴族女性が着るような幅も場所も取って仕方ない豪奢なドレスに、鮮やかな重ね色目の着物であろうか。さすがに女性物は色使いも模様も華やかで目を引くものである。別の意味で鎧兜やら甲冑やらも目を引くけれど、あれは完全に舞台衣装だろうなぁ。
 他にも数多の鬘や髷、帽子や鞄に靴などといった小物もあるので、この部屋は学園の衣裳部屋といったところだろう。アイドルコースには様々な実習があるので、それ用の衣裳があったとしても可笑しくはない。規模からいっても、恐らくこの部屋以外にも複数こういった部屋は存在するだろう――そう考え、私は部屋の片隅で丸椅子に腰かける青藍の長い髪の女性と、赤いショートカットの・・・背格好からいって多分男子を視界に止めた。ミニのプリーツスカートから見える足が完全に蟹股なのだが、それは正面に回ると中身が見えるんじゃなかろうか。そう懸念しつつも、その正面で七海さんと渋谷さんが、すごく楽しそうに盛り上がっていたので、深くは追及しまい、と言葉を飲み込んだ。あれ、きっと一十木君なんだろうなぁ・・・。そして彼女らの手に化粧道具が見えるので、半分玩具にされてるんだろうなぁ・・・・哀れ。同情を寄せていると、ドアを開けた気配に気が付いた、大人しく椅子に座っていた長い髪の女性がこちらを振り返った。
 腰まである癖のない真っ直ぐな髪が振り返る動きに合わせてさらりと揺れて、天使の輪が歪に歪む。振り返った白い面のシャープなラインが、切り揃えられた横髪で縁取られ、切れ長の眼差しが軽く目を見張ると少し目が大きく見えた。
 すっと通った鼻筋の下で、濡れたように光る唇が半開きになると、彼女・・・否、彼は、カッっと目尻を赤く染めた。

「なっそっ」
「わぁ、真斗君綺麗ですー!」

 ガタン、と酷く狼狽えた様子で椅子から立った彼・・・まぁ、メンバーと髪の色的に聖川君だろう彼は言葉にならない様子で固まっていたが、すぐに四ノ宮君に満面の笑顔で飛びつかれて、それどころではなくなった。
 ぎゅうぎゅうと首に腕を巻きつけて抱きしめてくる四ノ宮君をなんとか宥めようとする聖川君の絵は、女子同士の戯れに見えなくもない。二人とも背丈にさほどの差がないから余計にそう見えるのかもしれないなぁ。まぁ私が近づいたら結構な身長差ですけどね。それにしても、だ。
 上から下まで、聖川君を観察してふむ、と顎に手をあてる。白のインナーにピンク色のガーディガン。フレアの膝丈のスカートからすらりと伸びる引き締まったふくらはぎを覗き見て、上へと再び視線をあげて最終的に顔に戻る。ふむ。

「聖川君、美人だねぇ」

 来栖君に続く見苦しくない女装男子である。多少上背があって体格的にも堅いものは伺えるが、元が割と細身だし服装などのチョイスに失敗例があまりなく、顔立ちも涼やかな綺麗系であるため、化粧への違和感も少ない、十分に「見れる」女装である。いや決して、決して一ノ瀬君たちが見るに堪えないというわけではないんだ。ただやっぱり違和感が拭えないのは確かで、そういう点で言うなら聖川君は文句なく合格点を頂けるだろう。しいて好みを言うのなら、和服ならば尚言うことなしってところだろうか。ていうか、この場にいる全員着物着てれば大概イケルと思うけどね。着物は凹凸のある体よりもない体の方が綺麗に着こなせるから、女装するならあっちの方が体型の誤魔化しが利くのだ。
 しみじみと呟くと、聖川君はカッと頬を朱に染めて、はくはくと口を幾度か開閉させると苦悶の顔で視線を逸らした。

「・・・っ日本男児として、一生の不覚・・・!」
「相変わらずお堅い人間だな。聖川」

 そういって、馬鹿にしているのか呆れているのか判別のつかない目線でハッと鼻で笑った神宮寺君に、お前はもうちょっと恥らえ、と内心で突っ込む。
 言っとくけどお前のチョイスは聖川君に比べて色々間違ってるからな。指摘なんてしないけども。それでもまぁ、ここまで開き直れとは言わないがもうちょっと気を楽にしてもいいと思う。

「そうですよ!真斗君とっても綺麗ですよ?」
「遊びなんですから、もう少し気を楽にしては?翔なんかこんなに遊ばれていますし」
「遊ばれてるとか言うよっ。お前こそもうちょっとマシな服があっただろうが!!」
「なっ。このセーラー服のどこが悪いというんですか!?」
「え、ガチでそれチョイスだったの一ノ瀬君?」

 ちょっと待てそれは聞き捨てならんぞ?とりあえずドアを閉めて外界から部屋を遮断したところで、後ろに立っていた一ノ瀬君のあらぬ発言に思わず振り返って目を見開く。その態度にいささかのショックが隠せなかったのか、一ノ瀬君の顔が目に見えて引き攣ったが、まさかの本人のガチチョイスとは思わないだろう。
 ウケ狙いとか体格を誤魔化すため仕方なくとか、そういう感じだと思ってた。というか思わせてほしかった。いやそりゃイケメンがすべからくセンスがいいとは思っていないよ。顔とセンスは別物だもの。テレビや雑誌でみるものと私服は違うっていうものね。でも何故だろう。イケメンはセンスがいいと思い込んでしまう視覚が及ぼす思い込みとはすごいものだ。

「あー・・いや、ほら、そ、それよりもさ!音也!音也の方どうなったんだ?!」
「そうだね。イッキの仕上がりも気になるだろう?レディ」

 気まずい空気になったのを敏感に察したのか、来栖君がわかりやすく声を張り上げて話題転換を図る。それに便乗するように、聖川君との睨み合いを切り上げた神宮寺君がさりげなく肩に手を回して私の体の向きをくるりと変えた。
 後ろ髪引かれるような、いやここは彼らの努力に報いるべきか、と私は来栖君に乗っかるようにして、そうだね、と相槌を打った。後ろの様子は見えないが、来栖君の声が小さく聞こえているので、恐らく一ノ瀬君を必死に慰めているのだろう。悪いことしたなぁ、と思いながら前を見れば、完全に貰い事故になった一ノ瀬君の様子に沈黙している聖川君がいた。・・・うん、なんていうか、こっちもこっちで居た堪れないよね。反応まずったなぁ、と後悔しつつ、そんなこちらの騒動に気が付いたのか、一十木君を弄っていた七海さんがふと顔をあげてこちらを見た。
 そして一瞬目を丸くしてから、花のようにぱっと微笑みを浮かべる。わ、超癒される。

さん!どうしたんですか?」
「んー彼らと遭遇したんで、何事かと思って。そういえばまだ何の説明も受けてないけど、なにがどうしてこうなってるの?」

 なぜこいつらが女装しているのか、その理由を未だ聞いていないのだが、一体どうしてこんな半ば放送事故のような事態に陥っているのだろうか?とことこと七海さんに近づいて問いかけるとえ!?来てるの!!??と一十木君が慌ててこちらを振り返ろうとして、がしぃ!と渋谷さんに顎を鷲掴まれた様子が視界に飛び込んできた。ネイルの施されたきらきらの指先が食い込むように頬に埋まっているのがなんとも怖い。

「音也!動かない!」
「と、友千香痛いよぉ~」

 喝を入れるように窘める渋谷さんの迫力と、顎を掴まれている力強さにちょっと泣きかけの一十木君の声が情けなく部屋に響く。まぁ、メイク中に顔動かすものじゃないよね。苦笑を七海さんと一緒になって浮かべてから、それで、と話題を元に戻した。

「あ、それはですね」
「所謂罰ゲームって奴だね」
「罰ゲームぅ?」

 話し始めた七海さんの後を引き継ぐように、神宮寺君が続きを口にする。それに、思わず語尾がひっくり返るような半音上がりで首を傾げると、聖川君が溜息を吐いた。

「本来ならば負けた側が行うはずだったのだが、色々とあってな。結局全員が女装する羽目になったんだ」
「いや、なにしてたの?ていうかこんな衣裳部屋でやってるぐらいだし、なに?また学園長絡み?」
「わぁ、ちゃんすごい!なんでわかるんですかぁ?」

 なんでも何も。両手を叩いてすごいすごいと言ってくる四ノ宮君に、曖昧な笑みを浮かべて言葉を濁す。いや、だって、学園の備品使える時点で学園絡みなのは明白でしょうよ・・。というか大体の事件はあの人が絡んでいると最初から疑ってかかっているんだが、何か間違っているだろうか?

「お察しの通り、早乙女学園長絡みですよ」
「あ、一ノ瀬君」

 復活したのか、それとも虚勢を張っているだけなのか・・・藪を突いて蛇を出す性分ではないので、それに関してはスルーを決め込んでやっぱりなぁ、と頷いた。

「体育の授業で水球対決をしたんだよ。AクラスとSクラスで」
「そうなの?じゃぁこっちのクラスもやるのかな」
「あぁ・・いや・・・それはどうだろうな・・・?」

 多分やるならCクラスとかなぁ。体育の授業ならコース別ではないから、私も水着用意しないといけないか。さすがにスクール水着はアウトかな。いやでも高校生だし年齢的には行けるよな・・。でも周りは多分普通の水着だよねぇ。さて、どうしようか。少し思考を明後日の方向に飛ばすが、やけに歯切れの悪い来栖君に、うん?と語尾をあげる。

「何かあったの?」
「えぇ、まぁ・・」
「なんというか、あれこそまさに大事故だったよねぇ」
「うむ。自然災害にも等しい事故だ」
「え?なに?誰が何をやらかしたの?」
「えっと・・・」

 しみじみと、その時のことを思い返しているのか遠い目をするAクラスとSクラス。果たして何が起きたのか、聞きたいような聞きたくないような、怖いもの見たさで問いかけると七海さんが言葉を濁しながら、ちらり、と視線を横に流した。
 その視線の先を追いかけると・・・四ノ宮、君?視線が合うと、四ノ宮君は一瞬きょとん、とした顔で目を丸くしてから、にこ、と微笑みを浮かべた。

「どうしてだか、プールが壊れちゃったんですよ。僕はその現場を見てないんですけど、何があったのか皆教えてくれなくて」
「そう、なんだ・・・?え、てか、プール壊れたの?」
「そうそう。それで勝負も有耶無耶になるかと思ったんだけど、決着がつかないならどっちも女装すればいいじゃなーい!って、学園長が決めて結果この通り、ってわけ。はい、完成!」

 最後、とんでもないことを聞いた私に説明を終えるように一十木君のメイクを黙々と進めていた渋谷さんが、そういって額の汗を拭きとるような仕草でふぅ、と息を吐いた。おぉ、これで一十木君も完成ですかな。
 完全に仕事をやり遂げた爽やかな顔つきで、じゃじゃーん!と明るい声で丁度椅子が回転式だったのか、ぐるり、と渋谷さんが背もたれを回した。

「・・・うん。可愛いんじゃない?」
「一十木君、似合ってます!」
「あは、あはは・・・」

 ツンツンと跳ね気味だった髪は顎に沿う程度に伸ばされた丸みのあるストレートのショートカットに変えられ、いささか肌は焼けてはいるがパッチリとアイラインとつけ睫毛をつけた目は本来のそれよりも大きく丸く見えて可愛らしく、オレンジがかったチークとグロスの明るい発色で元気な女の子らしさを演出。モノクロのパーカーと黒いプリーツスカート、それに黒のハイソックスにハイカットのスニーカーで、運動のできる女の子、といったところだろうか。いささか足の筋肉が逞しい気もするが、スポーツをする女子ならこれぐらいはままあること。うん。AクラスSクラスに比べて優秀じゃね?まぁ、本人は非常に複雑そうだけども。

「んふ。もっと褒めて褒めて!翔ちゃんやまさやんには劣るけど、音也もいい線いってるでしょ?」
「うん。さすが渋谷さん」
「友ちゃんすごいです!こんなに可愛くできるなんてっ」
「いやーひっさしぶりに本気でやったわー。元がいいとなんでも似合うもんね!」

 なんかもう途中から本気入っちゃってさー、とくるくると化粧筆を回しながら至極楽しげに言う渋谷さんに、だろうなぁ、とばかりに一十木君を見下ろす。
 普段するはずもない化粧を施されているからか、一十木君は非常に違和感を感じているらしく、しきりに瞬きを繰り返して目を擦ろうとしていたが、それを一ノ瀬君に止められてむぅ、と唇を尖らせていた。

「うぅ・・なんか瞼が重たい・・・顔がべたべたする・・・!」
「うむ。確かに、違和感が拭えないな」
「なぁ、これもう取っちゃだめなのか・・・?」

 そういって、大いに化粧に不満があるのか、比較的女装が見れる三人衆・・もとい神経が割りと一般男子寄りの面子がぼやいていたが、そういえばこれいつ終わるのだろう?すでに女装自体に違和感を覚えなくなっている事実に行き当たりつつも、とりあえず一十木君を椅子から立たせて、全員を並ばせてみた。

「・・・圧巻だね・・・」
「そうね・・・特に左端の辺り」
「み、皆さんとっても素敵、です、よ?」
「七海さん、目が泳いでいますよ。・・なんですかそんなにこの恰好がダメなんですか・・・!」
「やっぱり、こういう恰好はレディがしてこそ映えるものだよねぇ」

 ギリギリと拳を握る一ノ瀬君に、むしろイケルと思っていた理由を聞きたい、と思ったが変に刺激すると色々と拗らせそうだったので、やはりスルーの一手だ。
 神宮寺君はさすがに似合っていないことはわかっていたのか、元々罰ゲームだと割り切っていたのだろう。大して動じもせずにくるくると巻き毛を指先に絡めて手慰みにしていたが、ウインクを飛ばされたので視線を逸らしておいた。
 それに比べて聖川君、一十木君、来栖君・・・特に来栖君の完成度は並以上である。そこらのアイドルやらモデルに勝るとも劣らない美少女っぷりは本人的には不本意であろうと、見ている側としては非常に楽しい。これいじるの楽しかっただろうなぁ。四ノ宮君はー・・・もうちょっとかなぁと思いつつ、とりあえず記念に写メ取る?と渋谷さんがスマフォを取り出したところで、ばーん!と勢いよく扉が開け放たれた。

「みーんなー!準備できたー?」
「林檎ちゃん」
「月宮先生」
「あ、全員着替え終えたみたいね!うふふ、皆可愛いわよーって、あら?ちゃんじゃない。どうしたの?」
「偶然彼らに会ったので、ちょっと寄ってみただけです。えぇと・・じゃぁ私はこれで」

 まぁ、事情は知れたし、どうもAクラスとSクラスの問題らしいからBクラスの私は部外者だろう、ということでそそくさと退散を試みる。いや、断じて月宮先生が現れたことで嫌な予感がしたとかそんなわけでは!彼らと月宮先生を見比べて、すちゃ、と片手をあげて出ていこうとした私を、しかし月宮先生は見逃してはくれなかった。

「まぁまぁまぁまぁ。いいじゃない、もうちょっとぐらいいても」
「え、いや、でも・・・これAクラスとSクラスの授業の一環みたいですし・・・」

 すかさず出入り口を塞がれ、にっこり笑顔で通せんぼをする月宮先生に顔が引きつる。ちら、ちら、と後ろを見ながら、彼らに助けを求めてみるも、全員微妙に視線を逸らしていた。というか大半私の心情に気が付いてない・・・!え!?あれ!?嫌な予感してるの私だけ!??
 そう戸惑っている内に、月宮先生にぐいぐいと肩を押されて彼らの輪の中に押し戻され、にんまりと笑ったスカイブルーの瞳にうわぁ、とばかりに口角を引き上げた。

「罰ゲームだし、クラスとか関係ないわよぉ。あ、それと、皆にシャイニーからの指令よ!」
「指令?」
「学園長から?」

 いやあるだろ!という内心のツッコミも、月宮先生の次の台詞に喉の奥に引っ込んだ。周囲が訝しく首を傾げ、月宮先生に視線を寄せる。
 十分に視線が集まったところで、月宮先生は腰に手をあてて胸を張りながらぐるりと全員を一度見渡し、特に一ノ瀬君たち男子を眺めて口元を引くつかせながら(笑い堪えてやがるな)、しゅるしゅるとどこからともなく垂れ落ちてきた紐に手をかけた。え?紐?思わず視線を月宮先生から外して、紐の先を辿れば天井がぱか、と空いてその空間からキラキラしい金色のくす玉が下りてきている光景が視界に飛び込んでくる。・・・どんだけ教室を魔改造してんだあの人・・・!というかいくつの仕掛けを施しているのだろうか。と、じぃ、とそのくす玉を見上げていれば、月宮先生はやけにノリノリの様子で、宣誓と共に、ぐい!と力強くくす玉の紐引っ張った。

「指令は、これよ!」

 高々と張り上げられた声。だからなんでそんなにノリノリなの、という野暮な突っ込みはできるはずもなく。紐という拘束から外れたくす玉は、一瞬大きく沈み、それから上に跳ね上がりながら、パカン!と小気味よい音をたてて真っ二つに割れ、その中からひらひらと多量の金銀赤白、多彩な紙ふぶきを舞い散らした。
 そうして、その中から勢いよくシュルルルル、と摩擦音をたてて落ちてくる長い垂れ幕。一連の動作を呆気に取られて周囲が見守る中、現れた垂れ幕に筆で書かれた内容に、響き渡ったのは、ただの男の野太い絶叫であったと、言っておこう。

「あ、ちゃんも勿論参加ね!」
「え、完全とばっちり!?」

 やめてよできるなら先生側で傍観してたいよ!!さらっと巻き込むぜ発言をされて、思わず素が飛び出たけれども、誰もそんなことには頓着してくれなかった。あぁ、彼らと関わると、どうしてこうも当事者になりやすいのだろうか・・・。