穢れない蒼さに押し潰されそうだった、7月の狂詩曲
寒いほどに冷房を利かせた店内で、陳列している商品を眺め声をかけてきた店員さんを軽くあしらいながら、どうしたものかな、と顎に手を添えた。
建物の半面がガラス張りになった店内は明るく、内装自体も白で統一されているせいか少し眩しいぐらいだ。休日の昼間の時間帯のおかげかそれなりに賑わう中を、メタリックな輝きを放つ携帯電話を片手に、壁に貼られている機種の説明を眺める。防水だとか防塵だとか衝撃とか画素数とか、色々書いてあるけれどぶっちゃけてそこまでの機能を求めていないので何がいいのかよくわからない。
究極、連絡さえ取れればいいのだが、昨今を考えるとやっぱりスマフォがいいだろうか。簡易的なパソコンとの呼び名も高い携帯だ。調べものをするにはうってつけである。まぁ、アプリだとかどうとかのことはよくわからないが、取捨選択はできるだろうから、最低限だけ整えればいいか?しかしながら、やはりそういったものはガラケーに比べるとお高いのが実情だ。懐事情は決して明るくないので、やはりここは安いもので抑えた方が・・・しかしそんなコロコロ買い替える気はないから、ここは奮発して・・・?悩みどころである。
しかもスマフォにも種類が色々ある。携帯会社も一社ではないのだし、何もここで決める必要はないのだろう。とりあえずカタログだけ貰って、あと何件か回って帰って考えようかなぁ、と手に持った携帯を棚に置き顔をあげる。
「・・・あ?」
思わず、低い声が出たのは仕様である。半面がガラス張りになっている店内は、その窓に色々なポスターやポップが張り付けられているが見ようと思えば外から店内が覗けるようになっている。逆もまた然りで、中から外が見えるようになっているのだが、私が今立っている陳列棚はその窓側だ。立っていれば、道路側と向かい合う形になる状態で、思わず片眉を動かす。
そこには、窓越しに正面に向かい合うような形で、見知った顔の青年が丸く目を開いて、こちらを凝視していたのだ。・・あ、これ店から出たら話しかけられるパターン?咄嗟に愛想笑いを張り付けたものの、目線があった分、無視し辛いわぁ、と内心で舌打ちをする。このまましばらく店内で粘ってたらどっかいかないかな、と思ったのもつかの間、青年はにこ、と笑みを浮かべるとひらり、と手を振ってきた。
あ、これアカンわ。なんか知らんけどロックオンされてるわ。悟った私は、諦めたように肩を落とし、店員さんに声をかけて、いくつかのカタログを受け取る手配を進める。さて・・・どうか込み入った内容ではありませんように。祈りつつ、この近くに座って話せるところあったかなぁ、と地図を思い描いた。
※
ジンジャーエールが注がれたグラスの気泡を見つめ、手持ち無沙汰にストローでかき混ぜる。カラコロと氷がぶつかりあう音を聞きながら、そっと持ち上げて口をつけた。
軽く吸い込むと、炭酸の混じった生姜の辛みが舌の上をしゅわしゅわと滑る。
ごくりと喉を鳴らして飲み込むと、ぐっと喉奥を炭酸が刺激しながら落ちていく。
甘すぎない味にほっと息をつきながら、正面でアイスコーヒーにミルクをいれてかき混ぜる青年に視線を向けた。黒に白いミルクが混ざり、ほんのりと柔らかい色味に変えられていく。少し伏し目がちになった瞼を縁取る睫毛は金色で、目元に影を落とすとふるりと瞬きと同時に揺れた。額にかかる睫毛と同じ金色の柔らかい髪を揺らして、俯けていた顔をあげて青年が口元に笑みを浮かべる。
こうしてみると、同じ顔だけれど大分印象が違うな、ともう一つ同じ顔を持つ青年を思い浮かべて、やっぱり違う人間だなぁ、と内心で一人ごちた。
「ごめんね、いきなり誘って」
「はぁ、まぁ・・・驚きましたけど」
肘をつき、手を組みながら小首を傾げた青年・・・来栖君の弟である来栖薫君に、私は言葉を濁しながら胡乱気な目線を投げる。しかしそれも当然だろう。一応、私と彼は顔見知りではあるが、あくまでも互いの顔を見たことがある程度の仲である。決して親しいとは口が裂けても言えないレベルの顔見知りだ。顔見知りというか、なんか見たことある程度のレベルを顔見知りといっていいものか迷うぐらいには関係が薄っぺらい。
なにせ出会いがあの女装ミッションの最中だったので、碌な会話もしていないぐらい。そういえばあの女装ミッション、結局のところ私と来栖君達のコンビ以外は・・・まぁ、予想通りの結果になったらしい。聞いた時には「だろうな」としか思わなかった。むしろあの状態で街中に繰り出してクリアできると思う方がどうかしてる。特にSクラスのお色気組。失敗に何故ですか!と拳を握りしめた一ノ瀬君に生温い目を向けたのは、まぁ察して余りある行動だろう。
そういえばあの後普通に帰ってから月宮先生に来栖君たちがいない事情を話すと彼・・・彼女?も、顔を引きつらせて「やだー・・なっちゃん暴走してないといいけど・・・」とかぼやいていたのだが、基本四ノ宮君は暴走しているのでは?と不思議に思った。
だって私と会うたび彼、大体人を振り回してること多いよ?主に被害者は来栖君みたいだが。
さておき、間に来栖君がいるならともかく、二人っきりでこんな風にカフェでお茶でも、なんて関係ではないことはハッキリとしている。それでも携帯ショップで顔を合わせてこうしてカフェにいるのだから、何が起こるかわからないものだなぁ、と視線を逸らすように窓に向けた。
「ここ、ケーキも美味しいんだよ」
「そうなんですか。来栖君は甘いもの、好きなんですか?」
「薫でいいよ。来栖だと、翔ちゃんと被って呼びにくいでしょ?」
言いながら、メニュー表を広げて差し出してくる来栖君に水を向ければ、さらっと返されてやりにくい。・・・まぁ、確かに同じ来栖がいるので微妙な感じではあるが、別にここに君の相方がいるわけでもないので、名前呼びの必要はないと思うんだよね。
差し出されたメニューを受け取りつつ、パラパラとページを捲りながらぱたり、と閉じた。長居する気もないので、これ以上の追加注文はいらない。
「ご用件は?」
「・・・そんなに警戒しないで。別に、危害を加えようなんて思ってないから」
いや、さすがにそんな心配はしてないよ。困ったように、けれど状況が状況だけに、自分がいくらか信用ならないことは自覚しているのか、来栖君・・・この際薫君と呼んでおこう。薫君は、眉を下げて閉じたメニュー表を受け取るとテーブルの端にあるスタンドに立てかけた。
「元々、君に用事があったわけじゃないんだ。偶々通りかかったら見かけたから、思わず呼び止めちゃって。ごめんね」
そういって、申し訳なさそうな顔をされて謝られると、あんまりつっけんどんな対応もし辛い。何かしら話したいことはあるんだろうな、と思って応じたのは自分なので、結局のところ彼だけがどう、というわけでもないのだ。多分この調子なら断れば大人しく引いたんだなぁ、と思うと、読み間違えたか、と私も眉を下げる。いかんいかん。最近ちょっとごたごたに巻き込まれてたから、変に勘ぐったようだ。
「いえ、ただちょっと私も気になっただけですから。どうして誘われたんだろう、って」
「ふふ、そうだよね。あの時一回だけだったから・・・ねぇ、翔ちゃんは元気?」
そういって、くすくすと笑いながら、伺うように片割れの近況を訪ねる薫君に、パッと来栖君の様子を思い浮かべる。・・・うん。
「元気そうですよ?今日も走り回っていましたし」
主に四ノ宮君の抱擁から逃げるために。偶々寮から出たところで見かけた鬼ごっこ中だった彼らを思い描き、若いっていいなぁ、としみじみと頷く。
私?私はもちろん見つかる前にさっさと離脱しましたが。絡まれると大変だからね!あの濃いメンツとはほどほどに距離を置いて関わりたいものである。
別に悪い子達ではないのだ、断じて。みんなとっても良い子なのだが、いかんせん色々とキャラが濃いというか周囲で巻き起こることが大概面倒、げふん。中々に波乱万丈な試練なことが多いので、平凡を自負する身としてはいささか荷が重いというか・・・何故あんなにも彼らはディープな内面を曝け出そうとするのか。それ見せるの私じゃないよ。もっと別の誰かだよ。具体的に言うとAクラスのサーモンピンクの髪した美少女とかあの辺だよきっと。
思考がやや明後日の方向に飛んだが、薫君が知りたいであろう情報を流せば、彼はほっとしたように・・・いや、さっと顔色を変えて、唇を戦慄かせた。
「走って・・・?しょ、翔ちゃん走ってたのっ?」
「うん?よく走ってますけど?」
すげぇ元気よくサッカーとかしてますけど?よく一十木君とかと一緒に遊んでるよなぁ、と思いながら、あれこれが地雷なの?と怪訝に思いながら小首を傾げる。
そういえば、あの時も来栖君と何やら言い合っていたっけな・・・内容が重たそうな感じはあったが、詳しくは聞いていないので気にしない。そして今後も聞く予定はない!
そう思いながらジンジャーエールを一口飲めば、薫君は組んだ手で親指をくるくると回しながら、ひどく落ち着きがない様子で、その、と聞きにくそうに口を開いた。
「翔ちゃんは・・・大丈夫、だった?」
「・・・・元気でしたよ?怪我もしませんでしたし」
まぁ四ノ宮君に捕まったら一気に体力ゲージ減らしてそうだがそこは言うまい。しかし、大丈夫、か。・・・これはまた意味深な問いかけだこと。
つい、と目を細め、私の返答にあからさまにほっと胸を撫でおろした薫君を眺める。・・・来栖君は何を抱えているのやら?まぁ、そこに口出す気はないけれど。どのタイミングで切り上げようかな、と腕時計を見下ろして、あえて彼のその後の顔を見ないようにしながら、バイトまでは時間があるし・・・あ、でも買い物して帰らなきゃなぁ、から晩御飯何にしようかなぁ、なんて思考を連続させていると、さん、と呼びかけられた。なんぞ?
「さんは、翔ちゃんと仲が良いんだよね?」
「まぁ、悪くはないと思いますけど、でも本当に仲良しっていうなら、彼と同じクラスの人か、別にいますよ」
私はあくまでちょっと離れたクラスにいる友人Cぐらいのポジションなので、あの仲良しグループとはまたちょっと立ち位置が違うと思う。
かといって、その微妙なニュアンスまで彼に察しろというのは酷なので、まぁ、友達ですし、ということでお茶を濁しておく。伝言ぐらいなら伝えるけど?
「そうなんだ?さんは翔ちゃんとは違うクラスなの?」
「えぇ、私はBクラスで、来栖君はSクラスです。すごいですよねぇ、Sクラスなんて早々なれるクラスじゃないですよ」
「翔ちゃん、早乙女学園に合格するためにすごく頑張ってたから。僕も本当なら早乙女学園を受ける予定だったんだけどね」
「え?そうなんですか?」
マジで?双子アイドルユニット誕生するかもしれなかったの?それはそれで見てみたかった。目を丸くすれば、ふふ、と笑って、薫君はアイスコーヒーにさしたストローをくるり、と回した。
「そうなんだよ。ただ、受験日当日に熱を出しちゃって受けられなかったけど」
「うわぁ・・・ご愁傷さまです」
「まぁ、どうしてもアイドルになりたかったわけじゃないし、それはそれで別の夢を見つけたからいいんだけど」
「今通ってるのは早乙女学園の姉妹校でしたっけ?確か医療関係の・・・お医者さんが夢ですか?」
「うん。どうしても、支えたい人がいるから」
だから、この道を行くことに迷いも後悔もない、と試験を受けられなかった悔しさもなさそうに、いっそ清々しくも満足そうな様子で言った薫君に、へぇ、と相槌を打った。・・・その支えたい人って十中八九来栖君なんだろうなぁって思うのは穿ちすぎだろうか?でも彼、節々から「翔ちゃん大好き!」ってオーラがだだ漏れしてるんだよなぁ。
「夢があるのはいいことですね。毎日が楽しいんじゃないですか?」
「そうだね、目標に向かって勉強している時間は嫌いじゃないな。さんも、学校生活は楽しい?」
「楽しい、は楽しいですね。それ以上に色々大変なことはありますが」
たまにぶっ飛んでやらかされていることが多いので気苦労も絶えませんが、まぁ、概ね楽しいんじゃないだろうか?ていうかなんだかんだこうして学生生活を送れていることが、ただひたすらにありがたいことだと思う。
あぁ、恵まれているな、と唐突に思い知って、ふっと口元を緩めた。
「・・・幸せだな、と、思いますよ」
噛み締めるように、それでも決して重くなりすぎないように、さらり、と言葉を落とす。それでも、彼は突然、会話としてはあまりない単語が出たので驚いたのだろう。軽く目を見張って、けれどそれから、そっかぁ、と微笑みを浮かべた。
「・・・翔ちゃんも、幸せなのかな」
「さぁ。それは本人でないとなんとも」
「だよね。でも、翔ちゃん、夢を語るとき、とっても楽しそうで・・・キラキラしてて。特に日向龍也のこと話してる時なんて、止まらないぐらいずっと話してて、・・なら、きっと今、翔ちゃんは幸せなんだろうなぁって」
どこか寂しそうに、眩しそうに眼を細めた薫君に、片割れが青春満喫してるとなんとなく複雑な気持ちになるのかな、と思いながらグラスの縁を撫でた。
冷たく濡れた感触が指先を湿らせ、かろん、と中の氷が崩れる。あぁ、早く飲まないと薄くなる。
「日向さんの主演のドラマの・・・ケンカの王子様。あれを見てから、翔ちゃん日向さんの大ファンになって、それからアイドルになるんだー!なんて言っちゃってさぁ。単純というか、真っすぐというか」
「来栖君らしいですねぇ。まぁでも切っ掛けなんてそんなものですし」
「まさか、早乙女学園に入学までするとは思わなかったけど」
「倍率半端ないですからねぇ。いや、私も受かったのが奇跡のように思います」
「試験受けてても、僕落ちてたかもなぁ」
「薫君なら受かりそうですけどね。ビジュアル的に」
「それ顔だけってこと?」
「中身も含め、ですよ」
双子ブラコンユニットとかすげぇ美味しいと思う。あといい感じにタイプが分かれているから、ファン層もいい具合に二分しそうで。それはそれでありだよねぇ、と頷きながら、ずぞぞ、とジュースを飲み切って、鞄から財布を取りだした。
「とりあえず、これ代金です。私これから行くところがあるのでこれで失礼しますね」
「あ、いいよ、そんなの。僕から誘ったんだし、おごるよ」
「こっちが気にしちゃいますから、受け取ってください」
ほぼほぼ初対面の人におごらせる度胸はない。むしろ受け取ってくれた方が気分的に楽やねん、と気楽に手を振り、にこやかに机の上に硬貨を滑らせて席を立つ。釣られて立ち上がった薫君に、まだ飲み終わってないでしょ、とアイスコーヒーを指さして、ひらひらと手を振った。
「それじゃぁ、これで」
「あ、さん」
大人しく席に再度座りなおした薫君に背中を向けると、呼び止められて振り返る。彼は少しだけ口を開いて物言いたげに唇を震わせて、こくり、と喉を鳴らした。
「翔ちゃんのこと、お願いします」
「へ?」
「その、翔ちゃん、実はちょっと体が弱いというか、たまに、体調崩す時があって・・・できれば、ちょっと気にかけて貰えたらなって」
「そう、ですか。あんまり見えませんね?」
それ私に言うの?ほぼ初対面にも等しい私に?というかそれが今回の目的か?実は。まぁ、彼は姉妹校とはいえ別の学校にいるので、体調を崩した来栖君に対して何もできないという引け目がある。だからこうして、一応同じ学園にいる私に声をかけたんだな、と一人内心で納得する。
「そういう弱いところ見せるの、嫌うから。気遣われたり、腫物扱いされるのも、あんまり気持ちはよくないでしょう?」
「あぁ、なるほど。でも概ね元気なんですよね?」
「・・・昔に比べたら、ね」
そういって、どこか苦々しく眉をひそめた薫君に、うん?これはまだ何か爆弾抱えてる系?と勘ぐりつつ、私はカラリ、と笑いかけた。
「いいですよ。まぁクラスも違いますからそう頻繁には様子も見れませんけど」
「ありがとう。急にこんなこといってごめんね、さん」
「いいですよー。兄弟なんですから、心配するのは当然ですよ」
心配する兄弟がいることも、心配してくれる兄弟がいることも、とても幸せなことだ。まぁだからといってほぼ赤の他人に言うことでもないけどな!
では、と言いながら手を振り、薫君も振り返して別れる。外に出た途端、店内の涼しさとは一転して蒸し暑い気温がむわっと押し寄せてきてこのギャップが嫌だなぁ、とため息を吐いた。
「今日何にしようかなー」
サッパリと冷麺とかにしようかなー。ならいるのはキュウリとトマトとハムとー。必要なものと冷蔵庫の中身を脳内で照らし合わせつつ、ぐっと眉間に皺を寄せて、目を細めた。
眩しすぎる太陽は、人の目つきを険しくさせるよな、ホント。