荒野で出会った悪魔は、きっと



「なんで俺まで働かなきゃならないんだ」
「お黙り色欲魔。私が女の敵を野放しにするはずがないでしょうが」

 諸々の情報提供とアクマとの一戦を差っぴいて、即抹殺はせずに真っ当な職に就かせることで妥協したんだから、文句を聞く筋合いはない。ウェイター姿で無愛想にカウンターに肘をつくクロスを鼻先で笑い飛ばして、カランコロン、と鳴ったカウベルに満面の笑みを貼りつけた。

「いらっしゃいませ!」

 家の家訓その一。女の敵は即抹殺、である。(おかげで母の父に対する遠慮ない仕打ちを何度見てきたことか)
 いや別に、父が他の女に目移りしているとかじゃなく、むしろ今だ新婚気分なのか知らないが母親にべったり甘甘なのだ。ただその好意というか行為が母的に非常に鬱陶しいものらしく、なんで結婚したんあんたら、というぐらい母の態度は冷たい。抱きつこうものならカウンターで拳がめり込む。それでも諦めなければ追撃で蹴りが飛ぶは投げ技が披露されるは、気がつけばボロボロの父親なんてざらだ。それでも母への愛は不滅らしいのだから、素晴らしい根性だと思う。
 しかし母の父への愛は不明だ。まあ、冷たい目で無視することもよくあるんだけど。よっこいせ、と背負った荷物を肩にかけなおしてぼやけば、トランクを持っているクロスが片目を半眼にしていくらか呆れた様子で唸った。

「それは本当に夫婦なのか」
「離婚届は出してないから、まだ夫婦よ」

 出そうものなら父親が自害しかねないから出せないということも考えられる。だがまあ、あれはあれで愛情表現の一種なのだろう。なんていうか、ライフワーク?なんだかんだで仲がいい、といえるのではなかろうか。生きてきた年月分見てきたのだ。そんなことぐらい察せられるようになる。夫婦の愛の形なんて千差万別なのだから。薄暗い森の中を、流れる河を視界に入れながら言えば、パキリと枝を折ってクロスが眉を寄せた。

「千差万別にも程があるだろう」
「んー。でもねぇ、周りがね、周りだから。結婚20年間近にして今だラブラブバカップルを地でいく人達とか(天国の両親)、単身赴任に近い形でほぼ一年中家にいなかったりする奥さんを健気に待つ旦那さんとか(健ちゃんの両親)がいるから、夫婦にも色々いるなーって」
「・・・お前の周りに標準はいないのか?」
「両隣がそれなだけで、あとは大概普通だよ」

 多分。木の枝に擬態していた蛇をつまんでぽいっと投げ捨てながら木々の合間から空を見上げる。そろそろ空の色が危なくなってきたな。暮れかかっているのもそうだろうし、雲も出てきている。夜になる前にこの森を抜けれればいいんだが。ふ、と吐息を零して視線を前に戻すと、クロスが帽子のつばをくいっと上げて、やれやれ、と肩を落とした。

「やっと森を抜けるのか」
「薄暗いけどねー」

 さて、黒の教団とは一体どんなところなのだろう。木々の切れ間から覗いた水面に、疲労と興味を抱きながら目の前に突き出た枝を選り分けた。森を抜けた瞬間の絶句具合は、結構滅多にない体験だとは思ったが。





 悪態をつくクロスを問答無用で引きずりまわして脅してコブラツイストとアイアンクローとバックドロップと逆エビ固めに急所打ち、回し蹴りで米神狙うのも忘れずにお願いをして(それは暴力だ!!)偶に錬金術で生成したものを売っ払いつつ、真っ当にアルバイトをさせながらお金を溜めて早数ヶ月。やっと本部まで行く資金が集まり、惜しまれながら(クロスは喜んで叩き出されていたような気がしないでもないが)あの事件のあった町を出立して幾日。
 長時間蒸気機関車に揺られクロスの相手をしながら(相手してやったんだ、俺が)ついたと思えば未踏の地である。奇怪な鳥の鳴き声の響く妖しげな森を不審に思いながらも、教団目指して歩く事半日という無駄な時間を過ごしてその森を終に抜けてあぁやっとまともなところに、と思ったところに。

「どんなフェイントかしらこれ」
「あんの馬鹿師匠・・・」

 ズオオオォォン、と異様な威圧感と共に湖の真中に不自然にも形成されている山に、顔の筋肉を引くつかせながら小さく嘆息した。横でクロスがギリギリと拳を握り締めて今にも射殺さんばかりに岩肌ばかりの断崖絶壁を睨みつけている。一応船着場らしきものはあったので、そこの小船を一つ失敬して中心にある塔らしきところにきてみればこれだ。
 一体エクソシストは、いやヴァチカンは何がしたいのか。首を限界にまで沿って、目を細めながら上空を見やる。ごつごつと荒れた岩肌はロッククライミングをするのには適していそうだが、高さに問題があった。

「うわすごいよクロス。天辺が見えない上に雲がかかってる」
「・・・これを登って行けといいたいのか」
「他に出入り口がないんならね。すごいなぁ、今の技術でどうやったらあんな場所に建物が建てられるんだろう。というかここで合ってるの?」

 最早何か色々と諦めて素直に感心を示すと、クロスは溜息をついてタバコに火をつけた。マッチの擦る音と共に一瞬辺りが明るくなり、すぐに消えるとマッチの燃えた独特の臭いが鼻腔を刺激する。どうやったらこの針山のごとき頂上に建物が建てられるのか。むしろ自然はよくまあこんなピンポイントの山を作り出せたものだな。これぞ自然の神秘。いい加減少し痛くなってきた首を戻してくきくきと鳴らしながら、ぐるりと周囲を見渡した。

「エクソシストってこんなの毎回登って本部に行ってるのかねぇ?」
「知るか。・・・ちっ。他に出入り口はねぇのか」
「見た感じはなさそうだけど」

 ぐるりと周囲を見渡し、ぺたぺたと岩肌を触って確かめてみるが別段の変化は見うけられない。クロスが眉間に皺を寄せながら、体全体で面倒、疲れる、ばっくれたい、という感情を露わにしていた。私もばっくれたいよ、クロス。

「とりあえず一周回って確認してみる?」
「そうだな」

 さすがに馬鹿正直に登るしか道がないなどと思いたくないので、出入り口を探して回ることにしてみた。クロスも異論はないらしく、素直に同意するとトランクを持って再び歩き出す。
 私もナップサックを担ぎなおして、岩肌を注意深く観察しながら周囲を歩き出した。そうしている内にどんどんと日は暮れていき、周囲の薄暗さに周りの観察もおぼつかなくなる。岩肌を蹴ったり色々としてみたが、やはりささやかな変化すら見つけられず、一日の半分を使ってみたが、徒労に終わってしまった。クロスが苛々と何本目かもわからないタバコを捨てて、足でぐりぐりと踏み潰す。その頭をスパコン、とハリセンでぶっ叩いて(練成)携帯灰皿にいれなさい、と説教しながら肩を落とした。

「明日にするか」
、テメェ人の頭を物のように叩くなっ」
「馬鹿ねクロス。人の頭だから叩くんでしょう。ハリセンで物叩いて何が楽しいのよ」

 ハリセンは日本のツッコミ文化なのよ!!びしぃ、と腰に手をあててそのハリセンをクロスに突きつけ言いきれば、知るかそんな文化、と吐き捨てられた。衝撃で落ちた帽子を拾いながら、なんだってこんな女といるんだか・・・とぼやくクロスに成り行き、と実に簡潔に答えをくれてやってそうそうに荷物を下ろす。忌々しげに成り行きか、と呟いたクロスは帽子の土を払い、肩を落として流木の上に座り込んだ。そこら辺に落ちている乾いた枝を拾い集めて(別に濡れてても錬金術で乾燥できるんだが)火をつけ、携帯食を取り出しながら簡単な食事を作る。パチパチ、と焚き火の爆ぜる音を聞きながら、雲が多いとはいえ晴れ間の見える夜空を見上げて、あの高さだと空気がど偉い薄いだろうなぁ、と一人ため息を零した。





 翌朝、まだ明けきりもしない早朝、人の気配に不意に意識が浮上した。一応野宿をしているのに熟睡するほど危機感は薄くないので、砂利を踏みしめる音にゆるりと瞼をあける。
 横にならずに岩肌の窪みに背中を預けて寝ていたせいか、ぎしぎしと体が軋む。背中も多少痛みがあったが、時間が経てば消えるだろう。口元まで覆うようにかけていた毛布をずるりと落としながら、手の中の丸石をビュッと音をたてて投げ飛ばした。ガキン、と何かに弾かれる音がすると同時に、クロスの伸びた腕の先に断罪者が握り込まれる。真っ直ぐに足音の発生源に向けられたそれが夜中よりも明るい周囲に薄っすらと浮かび上がると、くすくすという笑い声が聞こえた。

「おはようクロス、それにレディ。昨夜はよく眠れたかな」
「寝心地は最悪なのであまり」

 低いが柔らかい声に、敵意は感じられずまだ少し重い瞼を動かし首を傾げる。クロスは眉を寄せて断罪者を引っ込めると大きく息を吐き出して、ぐしゃぐしゃと髪をかき乱した。ぼんやりと霧のかかる湖をバックに、柔和に微笑む初老の老人。しわくちゃの顔の奥の瞳が細められると、クロスがゆっくりと口を開いた。

「あんたか、師匠」
「いつまで経っても登ってこないから何かあったのかと思ったけれど、まさかもう一人こんなに可愛いレディをつれてくるとは思わなかったよ。彼女もエクソシストなのかい?」
「ハッ!一応な」

 紳士的な老人を嘲笑うかのようなクロス。というか今明らかに「可愛い?これの何処が」という意思を感じたので剣呑に目を細めると、クロスは中々肝が据わっているらしい。たったの一瞥で終わらせると埃を払いながら立ちあがった。汚いのが嫌いらしいから多少顔が歪んで凶悪になっているが、老人は気にした素振りもなく黒いコートを揺らした。胸元の十字架・・・あれはローズクロス?に目を細めるとクロスとの軽い雑談を終えて老人がこちらを振りかえる。視線があったのでにこりと愛想笑いを返しながら、毛布を抱えて立ちあがった。

「初めまして、レディ。私はジェイムス・アートライト。クロス・マリアンの師をやらせてもらっているエクソシストだ。レディの名前をお伺いしても?」
と申します。お見知りおきを、ミスタージェイムス」

 差し出された手に手を重ねてにこやかに応対すれば、クロスの不審気な視線が向けられる。
 態度が違うって?はは。人を見てるんだよ。和やかな挨拶を交わした後に、はて、お師匠様は確か別行動してたんじゃなかったんだっけ?と首を傾げた。確かに一緒に教団に行くはずが任務が入って、とりあえずクロスだけこっちに向かわせたとかいう話しを聞いたけれど。そんな疑問を隠すことなく視線で訴えて見れば、皺の奥でにこりと微笑みミスターはおっとりと口を開いた。

「思いの外任務が早く片付いたのでね。紹介状は送っているけれど、やはり師自ら紹介するのが礼儀というものだろう?」
「あぁ、なるほど」

 弟子の面倒は最後まで見るもの、ということだろうか。頷きながら荷物を整えると、燻っている焚き火を踏み消して明けた空を見つめる。まだ低い位置にある太陽に目を細めると、クロスがミスターに向かって口を開いた。言葉遣いが乱暴なのはもう性分なのだろう。
 どうしてこの師匠でこの弟子の性格になるんだ。やっぱり成長後だと駄目なのだろうか。懐かしき弟子達を思い浮かべながらそう観察してみる。あいつらどうしてるんだろう。

「師匠、本部に行くにはこの崖を登らないといけないのか」
「あぁ、一応はね」
「一応?ということは、やっぱり他に手段があるんですね」

 頷くミスターに確証を得た、とばかりに呟けば彼は僅かに目を見開き、それから少し困ったように首を傾げた。

「どうしてそう思うんだい?」
「普通に考えて、こんな断崖絶壁を毎回毎回上り下りするなんて考えられないでしょう。なにかしら侵入手段があると考えるのは当然だと思いますが」
「常識だな」

 アクマと戦って、下手したら大怪我だって有り得るのにその状態でこれを登れと?道中の疲労だけでも凄まじいだろうに、教団は随分と鬼な性格してるんだな。ふ、と嘆息すればクロスも頷きながらさっさと入り口教えやがれ、と目で訴えている。ミスターは私達の視線に眉を下げながらまいったね、とぼやいた。

「残念ながら、教団に認知されていないエクソシストはこの絶壁を登るのが義務付けられているんだよ」
「あぁ?」
「・・・上に何かあるんですか」
「ミスは察しがいいね。そこで門番に審判をして貰わないと本部には入れない。これは全員が通る道だから、例外はないんだよ」
「何を審判するっていうんだ」

 ここまできて今更、という思いからだろうか。至極かったるそうに問いかけるクロスに、ミスターは柔和に微笑み、そっと天を見上げた。つられて見上げれば、雲のかかる頂きが見える。少し冷たい空気が肌を撫でると、ふ、と一瞬の呼吸が聞こえた。


「人であるか、否かを」


 それは、全てを疑いにかかるしかない世界の、歪んだ証明。