ゲッセマネが避けられなかった結末



 門番の雄叫びと共に侵入した教団内で、案内された部屋で辿り着いた「室長殿」は、思っていたよりもずっと若かった。もう少し年配か、あるいは劇的な美形か典型的科学者か、そんなところを予想していただけにいささか拍子抜けする。
 すっと切れ長のブルーアイズに、金色の睫毛は長めではあるが西洋の人間ならば大体そんなものだろう。骨格に沿ってほどよくついた肉のシャープな頬を縁取るのは濃密なハニーブロンドの髪。さらさらと揺れるストレートはどちらかというとイギリス系なのかなぁ、と思う。アメリカ系かもしれない。とりあえずギリシャとかあの辺りの掘りの深さは見受けられない。どちらかというと無論カッコイイといえる容姿は、けれど劇的な美形というわけでもなく。何人かは振り返るが至って並程度の美形だった。街中で「あの人ちょっとよくない?」と言われる程度の。
 私達を視界にいれて、人当たりよく微笑んだ彼は、名前を「ミハイル・レンブラント」と名乗った。

「折角登ったのに地下に行くんですねぇ」
「すみません・・・」

 だったら最初から地下からいれろよ、全く。そんな心情が伝わったのか、ミハイルさんは金色の眉を下げて情けなく表情を崩した。そうするとカッコイイという印象よりもどことなく母性愛が擽られる情けない子みたいで、印象が可愛らしいに変わる。背が高いのに雰囲気がそんなものだから、益々情けなく見えるのかもしれない。へにゃりと崩れた顔を見つめて、にっこりと笑みを浮かべた。

「それで?どうして地下に行くんですか。わざわざエレベーターにまで乗って」
「やたらと長いしな。地上までいってるのか、これは」

 タバコを吸えず苛苛しているクロスが眉間に皺を寄せながらミハイルさんを睨む。いや、だって。こんな狭い箱の中でタバコなんか吸われてみろよ。最悪だぞ、普通に。しかも薄暗い教団の中でさらに薄暗い、というか黒い箱の中に入ってどれだけの時間が流れてるのやら。絶対吸わせようとは思わない。なのでまずエレベーターに乗り込む前にクロスからタバコは取り上げている。手の中でそれを弄くりながら、天井を見上げた。ぼぅ、としたさして明るくもない光は人工的なものだし、ぶっちゃけて長時間ここにいると精神破壊が起きても可笑しくないだろうなぁ。
 目を細めてつるりとした壁を撫でて、つくづくこの時代の科学水準がわからん、とぼやく。・・・教団だけがこんなに高度な水準を保っているのだろうか。このままでいくならエコな開発もすぐにできそうだよねえ。思考が僅かにそれると、ミハイルさんはそれは、と口を開いて。

ガコン、

「あら」
「着いたみたいですね」

 ずっと下に動いていた感覚が消え、唐突に地面に着いたような軽いストップの衝撃がふわりとかかる。僅かに体を揺らしながら、すぅ、と音もなく開いた扉にミハイルさんは笑いながら背中を向けた。開いた扉から何かの光が洩れ入るものかと思ったが、輝くような明るさはなくやはりどこか薄暗い。なんでこうも内部が陰気なんだ、と顔を顰める。清潔感に明るさは欠かせないと思うのに、全体的に内部は薄暗い。なんてーか、やっぱり悪の根城みたいだよねぇ?もうちょっと内部の光の量を上げる気はないものか。それともそういうのは全部研究費に注ぎ込んでるのか。
 リアルにお金かかりそうだもんなぁ。あーでもさ、人間が暮らすんだから明るさは絶対必要だと思うんだ、私。気分よく過ごしたいじゃない?明るさって絶対必要だって!そうして踏み出した場所は、はっきりいって何か儀式めいたものを感じさせた。カンカンカンカン、と靴音が甲高く響くのは、この中が室内のような形ではなく、空洞のような作りになっているからだ。見上げた天井は高く、筒の中にいるような印象が浮かぶ。エレベーターの位置からでも見える床は、ミハイルさんが歩いて目指すところ以外はどうやら床がないらしい。あったとしても位置的に低い場所にある。・・・なんかメカの開発場所というか出動場所というか、そんな感じ。○ンダム作ってないの、ガン○ム。

「・・・変な感じがする」
「あぁ?」
「何かがいる気配がするのよ」
「・・・ここに、か?」

 ミハイルさんの後を一定の距離感を開けながらついていきつつ、何か肌のざわつく異質な空気に眉宇を潜めた。声を聞きとがめたクロスが半信半疑の様子で、何もない周りを見渡す。広い大きな空間ではあるが、ただそれだけのそこに生き物の気配はないに等しい。靴音が反響する程度の変化しかないそこを見回して、クロスは吐息を零した。

「勘か?」
「似たようなものね。言っとくけど私の勘は馬鹿にできないものよ」
「なんとなく理由がわかるな」

 自信満々に髪を払って言えば、ふ、と微笑してクロスはポケットに手を突っ込んだ。静かな空間にはこの会話もそれなりに響きそうだが、浮かれた様子で前を歩くミハイルさんは振り向く様子がない。なんだろう、この子供みたいな態度は。しかしまあ、肌がざわつく、いやもっと内側から感じるこの感覚は、一体。何かに反応を示しているような、ピリピリと震えるような。内側、といえば。

「イノセンス?」

 この世界に来て勝手に寄生なんぞしおった傍迷惑この上ない物質を思い描いた刹那、カツン、と足音が止まった。泳いでいた視線の焦点がはっきりと合い、パチッと瞬きをする。白いコートを揺らして、ミハイルさんは柵に手をかけて身を乗り出しながら、嬉々とした声で誰かを呼んだ。

「ヘブラスカ!我等の新しい仲間がきましたよっ」

 よぉ、よぉ、と内部に語尾が反響する。明後日の方向ともいえるそこに向かって呼びかける姿は滑稽以外の何者でもなかったが、ヘブラスカ?とクロスと二人で首を傾げる。とりあえず確実に何かがいるのだろうとわかったところで、ぼぅ、と足元が淡い光を放ち始めた。下から照らす光は急速に輝きを強め、青白く私達を照らし出す。ふわりと、同時に揺れ動く空気。はたはたとミハイルさんのコートが揺れ、クロスの赤髪も揺れ始める。覗き込んだ下方の床には、何故か巨大な文字盤のような陣まで浮かび上がっており、何かが起こることは想像に容易かった。静寂の似合う空間だったそこが俄かに騒がしさを手に入れたことに、クロスが眉間に皺を寄せる。

「なんだ・・・?」

 突然の床の発光と、浮かび上がる文字盤。怪訝に思うのも仕方なく、ぽつりと零れたクロスの声は、その隣で呟いた私の声にかき消された。

「―――来る」

 呟いた刹那、音もなくそれは現れた。白く眩い体は長くうねり、すわ化け物か、と思うような巨体が下から這い出るように現れたのだ。構えていても驚くものは驚くもので、ぱちりと瞬きをしてその白く長い巨体の主を見上げた。あぁ・・・なるほど。こんなのが出るんなら、この場所がこれだけ広いのも天井が高いのも頷けるというものだ。ちょっと納得しながら、しかしあからさまに人とは思えない不思議な生命体の顔を見つめた。・・・顔立ちからいって性別(があるなら)女、か?ぽってりと肉厚の唇がちょっと素敵。

「こんにちは、ヘブラスカ」
「ミハイルか・・・久しいな・・・」
「そうですね。最近は新たなエクソシストも見つからなくてここに来る機会も減っていましたから・・・けれど今回は我々の新たな仲間を紹介しにきたんですよっ」

 きゃっきゃっとお前さんどこの女子かね、というようなはしゃいだ様子で首を伸ばして顔を近づけたヘブラスカさん?に向かって両手を広げるミハイルさん。
 その嬉しそうな様子によほどエクソシストが増えたのが嬉しいんだなぁ、と至極どうでもよく考えた。すまんな、アクマとかあの辺割とどうでもいいんだわ、私。
 その様子に僅かに口元を和らげて(うーん。やっぱり女の人なのかも)ヘブラスカさんはそれは喜ばしい、と答えた。

「では、その後ろにいる者達が・・・」
「そうです。女の子の方が君で、男の子がクロス・マリアン君です。クロス君はジェイムス元帥のお弟子さんなんですから」
「ほぅ・・・ジェイムスの。なるほど、それは期待できそうだ・・・」
「そうでしょうそうでしょう。ですから、早速お願いします」
「了解、した・・・・」

 そういって向けられた視線に、なんの会話だ?と首を傾げたのも束の間。一切こっちには説明なしか、お前ら。と半眼になったが、すぐに目を驚きに見開いた。

「・・・・・・触手プレイ!!!」
っ!?」

 明らかに叫ぶ言葉間違ってる。そんな突っ込みがなされるわけもなく、突然肢体を絡め取った生っ白く、透き通るように光る触手にうっわキモイ、と顔を顰めた。
 クロスが驚いたように手を伸ばすが、その手すら触手に絡め取られた。そのまま人の体重など一ミクロンも感じてません、というように軽々と持ち上げられ高く掲げられると、間近にあの顔が近づいてくる。・・・軽くトラウマになりかねん光景なのだがこれ。

「くそっ・・・なんだこれは!?おい、ミハイルっ」
「あー・・・なんか真理思い出すー・・・」

 慌てるというよりも気持ち悪い!!ともがくクロスは下方にいるミハイルさんに怒気を飛ばす。けれど相手はそんなこと感じてもいないように大人しくしてくださいねー、などと言っていた。お前この状況でそれ言うか。体の自由を奪うように両手両足に触手は巻きつき、元々空中に体があるせいで力も中々入らない。踏ん張る場所がないと動き難いんだよね・・・。それでもクロスは自分がこういう状態になっているのが嫌なのかそもそも触手が巻きついてる状況が嫌なのか、ギラギラと凶悪な眼光をヘブラスカに向けていた。ちなみに私は別に触手関係は初めてではないので(真理の扉通る時は毎回さぁ)最早諦めたように四肢の力を抜いた。悪意があるようにも見えないし、状況に流されるのが今は最善だろう。

「テメェ・・・さっさと離し・・・っおいッ!?」
「あらら?」

 四肢を震わせて足掻くクロスの腰のホルスターから、するりと触手は断罪者を抜き取った。鮮やかな手並みと感心している合間に、クロスが抜き取られた断罪者に手を伸ばしたが、無数の触手がすぐさまその手を絡め取り断罪者から引き離す。
 ・・・なにがしたいんだ?この存在は。そして断罪者は数多の触手に包まれるように覆われ、クロスはそれに怒りも露にし、私はその様子を冷静に観察をした。
 そんな対照的な私達を尻目に、断罪者の次は、というように触手は這うように体中を触れるか触れないかという触り方をしてくる。擽ったいのか気持ち悪いのか。気持ちよくはないんだけど。

「テメェ・・・ッなんなんだ、一体・・・っ」
「クロス、ちょっと落ち着こうよ」
「あぁ!?・・・なんでお前はそんなに平気そうなんだよ・・・」
「諸事情により」

 ギラン、と睨みつけてきたクロスは頬を触手に撫でられても剥き出しの素肌に触れられても、首に巻きつこうとも平然と受け入れている私の悠然とした様子に、一瞬呆気に取られたように顔から険を取った。それから一気に脱力したようにがっくりと項垂れる。私はその様子を横目で見ながら、ふよふよと伸ばされた触手に手を伸ばしてさっと指先で触れてみた。逃げるように一瞬身を竦ませたのは反射だろうか。

「悪意はなさそうなんだし、悪いようにはしないでしょ」
「そういう問題じゃねぇと思うがな。嫌悪感の問題だ」
「あぁ、まあねぇ。気持ちよくは確かにないけど、害がないなら状況に任せるのも一つの手、・・・っと?」

 触手に体を絡め取られ持ち上げられ、明らかに人じゃない生命体が間近にいるという状態で、暢気に会話をしている私達(クロスもどうやら私のペースに嵌ったようだ)にふわり、とヘブラスカさんの顔が近づいてくる。首を傾げれば、彼女は若干戸惑いと呆れを混ぜて呟いた。

「こ・・・この状況、で・・・そんなことを言った、人間は・・・初めて、だ・・・」
「人生経験が違うんですよ、ヘブラスカさん」
「・・・ヘブラスカで、構わない・・・。、・・・お前は・・・」

 一瞬不可解そうに語尾を濁らせた相手を微笑みで黙殺し、その頬に手を伸ばす。
 元々自由を奪うように触手は巻きついているが、それは暴れないようにという配慮であり(なにせここは結構高い。落ちるのは危ないだろう)、そんなに行動の制限はしていない。そういう意図さえ見せなければ触手は支えるように私の体を持っており、伸ばした手をどうこうする様子はなさそうだった。触れてみた頬は、なにかこう、感覚というものが曖昧だ。そっと辿りながら、ヘブラスカを見つめる。

「そんなことよりも、これは一体どういう状況か説明はして貰えないのかな?」
「そうだな、説明しろ。この際お前でもそこの役立たずでもいい」
「酷いですクロス君!!」

 さわさわと触れ続ける触手、この際ヘブラスカの手でもいい。が何かを探るように蠢くのに問いかければ、クロスの同意、そして嘆くようなミハイルさんの声が響く。うんまあそこはどうでもいいんだけど。じっと見つめれば、彼女はふ、と唇から吐息を零した。

「イ、イノセンス、との・・・シンクロ率を・・・計っている・・・」
「シンクロ率?」

 なんだそれ?語尾を上げて首を傾げれば、下の方から注釈が入った。役立たずと言われたのがショックだったんだろうか。

「エクソシストとイノセンスとのシンクロ率は重要なんですよ。高ければ高いほどイノセンスの力も増し、また発動も容易になる。けれど逆に低ければ、」
「命の危険さえある、か。・・・それをお前が調べるのか?」
「そうだ・・・」

 言葉を引き継いだクロスが、冷静さを取り戻した目でヘブラスカを見る。それにゆったりとした口調で答えながら、ヘブラスカは俄かに発光を始めた。おぉ。

「私は、イノセンスの番人・・・・イノセンスを知り、その未来を感じる者・・・」
「イノセンスの、番人・・・?」

 呟き返すが、亡羊とした声で、彼女の触手がずるり、と中に入ってくる。まさしく中だ。手の甲から肉体の中へ、首筋から血管を通るように発光する触手が入り込む。
 さすがにその感覚にはぞわりと悪寒が走ったものだが、眉宇を潜めるだけで微動だにしない。
 ビキビキと、何かが内を這い回り探っているのがわかる。イノセンスを知るということは、つまりこういうことか。クロスから断罪者を取り上げたのも同じ理由なのだろう。私は寄生型だから、直接内部に侵入する他ないということなのね・・・それはそれで物凄く嫌なんだが。クロスの場合は装備型だから、銃の形をしているイノセンスが触手に覆われたままになっている。いいなぁクロス。体の中を探られることはなくて。神経なのか血管なのか、それとも皮膚の裏側か。探っている感覚はわかるがかといって異物が混入している感じはなく、不思議な感覚に囚われる。本当に、真理とよく似ている。あっちの方がもっと遠慮ないし極悪だとは思うけれども。

「10・・・20・・・30・・・・60・・・・・70、75・・・・80・・・87%・・・シンクロ率、88%だ・・・・」
「88%?わぁ、すごいですよ君!寄生型とはいえ、これだけのシンクロ率は滅多にいません」
「そりゃどうも」

 100%で考えるのならば確かに悪くはない数値だろう。だがしかし、それが凄いことなのか喜ぶべきことなのか、そういうことは一切わからないし考えもしないのであまり感動もしない。ただそうなのか、という事実だけを受け止めて、同じようにシンクロ率を計られたクロス共々、ゆっくりと丁寧に下に降ろされた。そっと着地すると、するすると名残惜しげに触手が頬や髪に触れながら遠のいていく。すると、パチパチと拍手を零し、ミハイルさんは歓声を上げた。

「凄い凄い!二人とも、80%越えのシンクロ率だなんて、素晴らしいっ」
「それって凄いことなの?」
「勿論です。言ったでしょう?シンクロ率は高ければ高いほどいいんです。最初の率が高ければ危険も少なくなりますし、力も強い。元々寄生型は装備型に比べてシンクロ率は高いものですが、それでも88%は中々いませんよ。まあ、元より数も少ないのですけれど」

 言いながらニコニコと満面の笑顔のミハイルさんにそんなものか、と聞き流して首を傾げる。装備型と寄生型にはそんな違いがあるのか?

「寄生型の・・・イノセンスは・・・装備型と違い・・・エクソシストの肉体を武器と、する・・・すなわち・・・己が、対アクマ武器にも・・・等しいのだ・・・」
「なるほど。同居してるんだから、そりゃ高くもなるわね」
「なら装備型は低いものなのか?」
「最初はあまり高い数値は出ませんね。いずれ慣れてくれば高くもなりますけど。だからクロス君も凄いんですよ。装備型イノセンスで80%の大台は」

 上と横からの注釈になるほど、と頷きながら腕を撫でる。はっきりいって、滅茶苦茶どうでもいい上に私勝手に寄生されたんだが、と思ったが沈黙を守った。
 絶対イノセンスとの意思疎通はできてないと思うのになぁ。というかついこの間寄生されたばかりだというのにシンクロ率も何も、と苦笑を浮かべる。浮かれているように教団の未来も明るい、と笑顔を浮かべるミハイルさんはさておいて。ヘブラスカを見上げると、彼女は唇を動かし、再び俄かに光り輝く。共鳴するように輝く下の陣の輝きと相俟って、思わず目を細めた。


・・・お前は・・・」


 そうして浪々と語られる言葉を、私は奇妙な気持ちで聴いていた。