十字架に捧げられし祈りが想うのは



 それは、とても美しい、歌声、だった。
 花の咲いた木の枝に腰掛け、足を宙にぶらぶらと揺らしながら浪々と響き渡る歌声に耳を傾ける。下から昇ってくるタバコの紫煙は、緩やかに吹き抜ける風に攫われて私のところまでは届かない。いくつもの墓石が立ち並ぶその前に、スカートの裾を風に膨らませてずっと歌い続ける少女を見守りながら、綺麗ね、とぽつりと呟いた。

「聖歌隊のソロやってたんだっけ」
「そんなことも言ってたな」
「あれだけの歌唱力なら頷けるわよねぇ」

 上と下でやや離れているが、木の幹に背中を預けてじっと佇んでいるクロスとの会話にはさして困らない。ふわりと、花の香りが鼻腔を掠めた。

「見てみたかったなぁ。教会で歌う姿」
「歌ってるだろ、今でも」
「教会でっていうのがポイントなのよ。ステンドグラスとマリア象の前で歌う姿、綺麗だと思わない?」

 うっとりと想像を巡らせて口角を持ち上げれば、クロスのあまり興味のなさそうな相槌が返される。別に宗教的な意味合いではなく、単純に絵面が美しいと思うだけなのに。
 一層高い音域が空に響く中、少女の柔らかな金髪が揺れた。黒いリボンと眩い金色のコントラストが目にもまぶしい。真っ白な肌は白人の名に相応しいあり方だ。透き通るような、そんな言葉がよく似合う。たった一人、故人に向けて捧げる歌の、こめられた思いは深く優しく、時に冷たい悲しさを帯びた。それでも心を込めて丁寧に歌い上げるその姿を、誰かはマリアの化身だというのだろうか。目を細めて、ぷちり、と近くの枝の花を手折る。くるくると指先で花を回して、よいしょ、と枝の上に立った。立ったことで下に敷いていたコートの裾が風に煽られて僅かに広がる。ぎしりと、揺れた枝に木がついたのか、クロスが上を見上げた。隻眼で、なにをするつもりだ、と問いかけてくるそれににこりと悪戯に笑って口元に指をたてる。

「まあ、見てて」
「・・・好きにしろ」

 呆れたように吐息を零して、タバコを咥える。その一部始終を見下ろしてから、天を仰いだ。頭上で咲き乱れる花も、もう散り時だ。柔らかな風に煽られて、時折ハラハラと花びらが散っている。クロスの赤い髪に、白い花びらが落ちた。花びらはあまりにも無音で、そして柔らかだからか、気がついていないクロスが少し面白かった。気がついたときが見ものである。くすくすと笑い声を零し、緑色の若葉も顔を覗かせる枝枝にごめんね、と呟いた。
 せめてもの餞に。私から、故人と、美しく悲しい少女に、別れと始まりを。

「桜の、代わり」

 微笑んで、最後の一音まで高く歌い上げた少女の、澄んだ歌声が遠く、消え行くその瞬間まで。静かに、聞き入ると同時にパチン、と指を小さく鳴らした。


 そして、一際強い突風が、周囲を駆け巡る。


 それは一瞬の荒々しさを伴い、少女の眩い金髪も、漆黒のドレスの裾も、クロスの赤い髪も、黒いコートの裾も、生い茂る草花も、――――咲き誇っていた、木の枝の花も。
 全てを揺らし、巻き込んで、吹き抜けていく。吸い込まれるように消えていった歌声の後を追うように、風は空高く舞い上がり、大きく枝葉を揺らした木に咲き誇る花すらも、舞い上げて。渦を巻くように、白い花びらがいくつもいくつも、飲み込まれては空へと運ばれる。
 誰もが空を見上げた。青空に、雲とは違うまるで雪のような白色が翻る様に息を飲んで見入る。そうして、ぱたりと、吹き抜けることをやめた風に、翻弄されていた花びらは一瞬動きをとめて。

「あぁ――」

 ひらひらと、くるくると。踊りながら舞い落ちる。無風の空を、華やかなダンスホールに変えて。ひらひらと、くるくると。白い花びらが舞い落ちる。まるで雪のように、まるで別れを惜しむように、まるで出立を祝うかのように。花吹雪が、世界を覆う。





「ふふっ」
「ん?なに、マリア。いきなり笑い出して」
「えぇ、ちょっと、初めてとクロスに出会ったときのことを思い出してたの」
「そんな笑うような出会い方・・だったかもしれないわねぇ」
「そうね。クロスと話してたらったらいきなりクロスに飛び蹴りしかけるんだもの。応戦したクロスもクロスだったけど」
「あれはこいつが悪い。ただ話してただけでなんでオレが一々攻撃されるんだ」
「日頃の行動を思い返しなさいよ。いたいけな美少女が性質の悪い男の餌食になってるかと心配したんだから」
「イイ女には声をかける。世界の常識だろう?」
「否定はしないけど」
「そこは否定しないのね・・・でも、確かにそれも印象的だったんだけど」
「他には、まあ色々あったけど、何が?」
「・・・秘密」


 にっこりと、笑いながら胸元の十字架を、しっかりと握り締めた。