あぁ、メシア様!



、お願いがあるんだけど」
「なに?マリア」

 そういって、差し出されたトレイに乗ったブツと内容に、マリアのお願い事ながら、面倒くせぇ、と隠さずに私は顔を顰めた。
 こういう時、スライド式のドアだったら足であけられるのになぁ、と行儀の悪いことを考えながら、片手にトレイを乗せた状態で、もう片手でドアを開ける。油をよくさしてあるのか、特に軋むような擦れあう音も聞こえずすんなりと開いたドアの向こうは、相変わらずの仕事風景だ。散乱する書類、所狭しと積み上げられる資料、床の上を這うコードに、ゴミ箱から溢れる紙くず。足元に転がるぐしゃぐしゃになった紙面の上には、ミミズののたくった様な文字がびっしりと敷き詰められ、ややこしいことこの上ない計算式が走り書きのように踊っていた。まるで医者のカルテのように、なんだこの字は、という解読不能さ加減だ。これは後々自分で見ても首を傾げるオチにはならないだろうか、とそんな懸念を覚えながら紙の上を跨ぐ。
 いくつかのデスクの上では、突っ伏して寝ているもの、その横で目を血走らせながら計算式を書き進めているもの、電卓を物凄い勢いで叩き頭を掻き毟るもの、あるいは未決済の書類の山に泣きそうになっているもの、あるいは資料を運ぼうとして足元のコートに引っかかって横転するもの、様々だ。相変わらず、戦場とはまた違った地獄絵図。大変ねぇ、と他人事のようにぼやいて、こっくりこっくりと頭を上下して寝かけている科学班メンバーの頭を軽く叩き、少し声を張り上げた。

「コーヒー持ってきたけどいる人ー?」

 頭を叩かれて、はっと気がついたようにそれは顔をあげ、私の声に反応したようにポロポロと反応が巻き起こる。元々おきていた人間は向き合っていた化学式から顔をあげ、こちらを見て軽く目を見開くといるー、とばかりにへろへろの腕をあげ、寝ている隣の人を揺り起こす人もいる。寝ながらも声だけには反応して、腕だけが上がっているようなのもいた。ほぼ条件反射で動いているといっても間違いじゃないんだろうな、と思いながら人数を数えて・・・途中で面倒になって全員分出せばいいや、と肩を竦めた。

「あーくーん。久しぶりですー」
「つい三日前会ったばかりだけどー?ミイハル室長」
「え、そうですか?あはは、徹夜が続いて時間の経過がさっぱりでぇ・・・それはそうと、私にもコーヒー頂けますか~?」
「あぁ、もう面倒だから全員分出す予定だし。あ、それとはいこれ。マリアからの差し入れ」

 人一倍高く積みあがっている書類の合間から、目の下にくっきりと濃厚な隈を作って見上げてきた室長の前に、トレイに乗っていたパンプキンパイを差し出すと、軽く目を見開いてそれからじわじわ、と彼は涙を浮かべた。

「わあーマリア君のパンプキンパイだぁ!」
「おぉ、俺達の女神のパンプキンパイ!さすがマリア!」
「やったー!僕もう二日まともな食事とってないんすよー!」
「それ全員分あんの、?」
「一応そう聞いてるけど」

 咽び泣きながら喜び、こんなものもういるかぁ!とばかりに書類を放り投げながら歓声をあげる団員に、それ片付けるの結局自分でしょうに、と思いながら比較的マシっぽい団員にパンプキンパイを預けて、コーヒーを入れるために給湯室に向かう。

「あ、ー」
「なに?」
「当のマリアはどうしたんだ?大抵自分で持ってくるのに」
「あぁ、・・・マリアならクロスのところに行ってるよ。珍しくあっちも缶詰でなんかやってるらしいから」

 そっちに差し入れにいったんじゃない?と振り向いて答えれば、何人かがわっとばかりに泣き伏した。

「俺達の女神が・・・!」
「おのれクロス・・・!なんであいつばっかりいい思いを・・・っ」
「でもクロスさんカッコイイですもんねー。頭もいいし、実力もあるしー」
「うっせぇぞマック!!ちくしょー!なんで神はあんな奴にばっかり二物も三物もやるんだよーーー!!」

 泣き伏す男性班員の中で、割と新入りの班員が空ろな目でぼやけば、べしっとばかりにペン立てが投げつけられる。あ、ちょ、先輩ひどい・・・!と頭を抱えるそんなちょっと哀れみを誘うバカバカしいやり取りをさらっと流して(自分が渦中に落としたわけだが)コーヒーをいれて、再びトレイに乗せると部屋へと入る。・・・まだ泣いてるし。

「はいはい、いつまでも現実に嘆いてないで仕事ちゃっちゃかしなよー。ついでにコーヒーも取ってけ」
ー・・・お前だけが最後の砦だぁー・・・」

 言いながら腰に纏わりついてくるので、意味わからん、とごすっと肘を落としながらコーヒーを押しつけて、のろのろとコーヒーを取りに来る団員に配り歩く。

「あー・・でも、なんでマリア君はクロス君がいいんでしょうねー。彼の女性関係は風聞が凄いですけど」

 こうやって執務室に缶詰になっても聞こえてくるんですよ?とコーヒーを受け取りながらごくり、と喉に通して、アチッと眉を潜める室長に、さあねぇ、と肩を竦めた。トレイに付属していたナイフでパンプキンパイを切り分けていきながら、適当な相槌を返す。

「理屈じゃないんでしょ。私だってなんであれがいいのかわかんないし」
君は、そういう人ですよね。クラウド君ですら満更でもなさそうなのに」

 まあ、なんだかんだいって、相性は悪くないもんねぇ、あの二人も。どうしようもない男は嫌いだ、とかいいながらもクラウドとクロス、二人の仲がそれほど悪くないのは知っている。まあ、かといって普通の男女関係のように甘いものがあるわけじゃないのもわかっているが。
 小皿は一々用意してなかったので、適当に切り分けたのを手づかみで、と差し出せば、頂きます、と室長は受け取ってもぐもぐと咀嚼した。ついでに群がってきた面子が取りやすいように客、というか報告を聞くために設置されている足の低いテーブルの上にパイを置いて、その場から離れる。

「クロスはねぇ、本当女受けはなんでかいいからねぇ」
「そういうお前も女だろ」
「生憎と、私ああいう男には興味ないのよ。私の理想は家庭的な人だから」
「え、それって女性への理想像じゃ・・・?」
「甘いわね、マック少年。そんな思考じゃ一生恋人なんできないわよ!」

 びし、と自信満々に言ってやれば、マック少年はひどくショックを受けたようにマジっすか?!と目を剥いた。そういう亭主関白はいつか捨て去れる時代・・・最先端で女心を掴むには、やっぱり女の苦労も理解して協力してくれる旦那じゃないと、最終的結婚は無理よねえ。

「女は家、男は外、なんて固定概念に縛られるようじゃ、恋人どころか恋なんて夢のまた夢ね」
「ええーー!!そ、そんなぁっ。僕三十前には結婚するのが目標で・・・!」
「え、お前それは無理だろ」
「厳しいと思うぞーそれは」
「なんでですか?!」

 涙目で横槍をいれてきた班員に噛み付くマックに、だってなぁ、じかりに目配せが起こる。うりゅうりゅと泣きそうになりながら理由はなんですか!と尋ねるので、一人が溜息を零しながらぐいっとコーヒーを煽った。

「お前、この現状見て結婚どころか相手を見つける、もしくはデートする時間なんてあると思うか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うわーーーん!」

 書類やら散乱した化学式、あるいはアクマとの戦闘によって破壊された町の被害総額、等等とりあえず片付けても片付けてもやってくる仕事量に、マック少年は絶望的な未来を知った。本泣きしてデスクの上に突っ伏す少年を慰める心優しい先輩達。あぁ麗しき同僚意識かな。

「どうでもいいけど」
「うっわ切って捨てちゃいましたね、君」
「興味ないしー。まあそんな茶番劇はともかく、マック少年。これ新しいゴーレムの設計図?」
「茶番劇って酷いっすー!・・・って、あ、はい。ゴーレムも長期任務となると燃料切れも激しいですし、もう少し効率と燃費のいいエネルギーへと移行できないかと思って」
「あぁ、確かにね。充電ができるようならいいんだけど、それも今のところ無理だものねぇ・・・それはそうと、途中で式間違えてるけど、これ」
「えぇ、嘘っ?!」

 ばっとつらつらと数字や文字を書き連ねていた書類の上を広げてきょろきょろと眼球を動かすマック少年の、どこっすか?!という悲鳴に、ここ、と指で指し示す。教えれば、その部分を穴があくんじゃないか、というぐらい食い入るように見つめて、マック少年はうわああぁぁ!!!と悲鳴をあげて頭を抱えた。

「間違えてる・・・!えぇ、なんで?!だってここさっき何度も確認して、うわーんまたやり直しー?!」
「ご愁傷様」
「ちょ、ということはここからの計算も全部間違いってことっすか?!」
「そうなるね」
「・・・・せんぱーーーーい!!」
「がんばれ、マック!」

 うわ、いい笑顔。縋るようにぐりん、と首を向けたマック少年に向けて、それはそれは清清しい笑顔で親指をたてた先輩科学者の顔には「仕事が増えるのはゴメンだぜ!」という、はっきりとした意識が表れていた。むしろその背後に巻き込むんじゃねぇよゴルラァ、とばかりの般若がいたようにも思うので、彼らの鬼気迫り具合も相当なのだろう。ひく、と顔を引き攣らせたマック少年は、えぐえぐと泣きながら再び鉛筆を握り締めた。

「うー・・・折角あそこまで計算したのにぃー・・・」
「まあ間違えたのは自分の失態だしねぇ。んー・・・どうせならここの熱量の変換効率なら、こっちの計算の方が手早いんじゃない?」
「え?」
「だから、ここの計算。ここをこの公式に当てはめて・・まあ後は電卓叩いてみなよ」
「え、え?・・さん、これわかるんですか・・・?」
「まあ、これでも錬金術師ですから?」

 それの構造やら成分などなどがわかって、材料さえあれば製造できるし。さらっと言うと、一瞬周りが静まり返った。ずずー、と私の自分のカップの中身を啜る音だけで聞こえ、次にマジかあぁぁ!!???と野太い雄叫びが室内を振るわせた。うっわうるせ!

「え、え、ならこの計算は?!」
「あー?これ前クロスと話してた奴?んーここまではあってるけど、ここからは・・・あー、こっちの公式の方が正しい」
!この資料目を通してみて!!」
「あぁ、この関連資料だったら・・・えーっと。これに載ってるでしょ」

 言いながら近くにあった積み重なった資料の間から、達磨落としの要領で引き抜くと、バランスを崩すことなく残った資料は鎮座し、抜き出したそれをずいっと押し付ける。

「てーか私手伝う気ないわよー」
「そんな!少しぐらい手伝ってくれたっていいじゃないですか君!私達を助けると思ってっ」
「めんどい。大体それが仕事でしょうが、あんたらは」
「神様仏様様!お願い助けてーーー!」
「あーもー腰にへばりつくな。セクハラで訴えるわよ」

 泣きながら腰にしがみついてきた相手の頭にぐりぐりと肘を押し付けて鬱陶しい、と顔を顰めれば、その間に!とばかりに書類の数々が突きつけられていく。眉を寄せながら、溜息を零すと近くのデスクのペンを取って書類を受け取ると、ざっと目を通してさらさら、と計算式を書き加えた。

「はい。あとは自分で計算して」
「サンキュー!ここの計算さえできればやっと睡眠時間の確保が・・・!」
、これ、この民族の資料って・・・っ」
「あーん?あぁ、ここって独特の文字があるってブックマンに聞いたことがあるわねぇ。・・・なんだっけ、第三資料室付近にあった気がするけど?」
「マジ!?そこは探してなかったーー!!」
君、この書類の決裁手伝っ・・・」
「それは自分でやれ」

 どさくさまぎれに明らかにお前じゃなきゃダメだろう、というものまで出してきた室長の書類はぶん投げて顔にべしっと叩きつけながら、腰にへばりついていた奴はべりっとばかりに引き剥がし、ソファにどさっと腰を下ろした。そして残っているパンプキンパイの一欠けらを口に運びながら、今日ぐらいは大目に見てやるか、と差し出される書類を受け取って目を通しては文字を書き連ねていく。ていうかなんだこの走り書き。解読できん。やり直し!

「えぇっ?!」
「人に見せるものは汚くても読める字なのが鉄則でしょーが。はい次ー」
「ここの計算がどうしても合わないんです!ここまでの式はあってるんですけど・・っ」
「確かに式はあってるけど・・・つーかこれ単純にここの字が潰れて自分見間違えてるんじゃないの?」
「え゛」
ー!これは?!どうやって組み立てればいいと思う?!」
「え、組み立てまでくる?んー・・・あぁ、ここのコードの配線間違ってるって。この赤いのはこっちの黒いのとあわせるもんでしょ」
「あぁ、そっか。じゃあこの黒の先は黄色か!」
「正解正解」

 言いながらぺいっと組み立て途中のそれを放り投げれば、うわぁ!という悲鳴が聞こえる。その間ひっきりなしに資料は渡されるし、計算は押し付けられるし、お前ら遠慮がねぇな、マジで!と眉を潜めた。それでもやってあげてる私っていい人ー。

、あの、この資料は・・・」
「自分で探してね」
「なんで私にだけそんな冷たいんですかー!」
「あら嫌だ室長。私がこの前休暇が欲しいっていったのに任務押し付けやがった腹いせだなんてそんなことはありますのよ?」
「・・・・・・・・・・・・・三日休みあげるから手伝って!!」
「一週間」
「い、五日!」
「・・・ま、及第点か。ほれ、それよこしなさい」

 よっし休みもぎ取った!にやり、と勝者の笑みを浮かべて手を差し出せば、室長はどことなく敗者の雰囲気を漂わせながらも書類を手渡してくる。その様子を周りは見ながら、うまい、なんて効率のいい交渉だ、などとぼやきながらも手を動かしている。まあ手を動かしてるから何も言わないけどさー。そうして、俄かに活気付いた科学班でしばらく時間を手伝いで潰していると、不意に勢いよくばん!と強く扉が開く音がした。その衝撃で巻き起こった風で、近くにあった書類が舞い上がり、あぁ!という悲鳴が起こる。あーん?

「あれ、クロス?うっわひどい顔してるー」
「・・・お前、なにしてる」
「見てわかんない?」

 科学班の手伝い。そういいながら、振り返ったさきで寝不足のあまり元々よくない目つきを更に悪くして、不機嫌そうな顔で佇むクロスに笑いかける。くるり、と回したペンで文字の羅列を進めながら、少し手を止めてうーん、と首を傾げた。

「そういえばどうしたの。あんた別室で缶詰してたんじゃなかったっけ。マリアが差し入れ持っていったと思うけど」
「あぁ、食った」

 それはマリアを、なのか食事を、なのか。そんなことを考えながらそう、と気軽に返事を返すと、足音も高く近寄ってきたので、仰け反り気味に後ろを見る。クロスは眉間に皺を寄せながら佇んでいて、僅かな逆光で顔が薄暗かった。

「なんの研究だったっけ。あんたも大概科学者気質よねー」

 滅多に本気にならないだけに、偶に没頭すると寝食も忘れてとりかかるんだから。けらけらと笑って、あ、と少し止まっていた計算式のやり方を思いついてさらさら、とペンを走らせると、不意にそれが上から取り上げられた。びっと白い紙に、不躾な黒い線が一本走る。

「あ、ちょっと」

 咄嗟に伸ばした腕は、だが書類を高く持っていかれると座っている私には届かず、空を掻く。クロスは私の文字で埋め尽くされた書類を見下ろして、目を動かしながら追いかけると、ふぁん、とばかりに吐息を零してにやりと笑った。

「丁度いい。こい、
「どこに」
「俺の手伝いをしろってんだよ。行き詰ってたんだ、お前がいれば進むだろ」
「あ、ちょっとクロス君ダメですよっ。君は科学班で仕事してもらうんですから!」
「そっちの研究よりこっちの研究の方が有意義だ」
「ちょ、それは聞き捨てならないっす!こっちの研究だって大切ですよ!」
「お前らは徒党組んでるだろうが。こっちは一人なんだよ。一人よこせ」
「今まで一人でやってきたんだから一人でもできますよクロス君。それに、君とはもう交渉すませてるんです。ね、君」

 科学班VSクロス、というあんまりない対決に、素知らぬふりでクロスの手から取り返した書類を進ませていると、突然に振られた話題にあーそうねぇ、と間延びした声を出した。

「交渉?」
「五日休みもぎ取った。なので私はこっちを優先するわクロス」
「五日?!おい室長!!五日の休みなんてどういうことだっ」
「うー言わないでくださいよー・・・私だって負けた気分なんですからー」

 まあ、エクソシストに五日の休みなんて破格の待遇もいいところだもんねぇ。眉を吊り上げて問い詰めるクロスに、室長は泣きながらべったりとデスクの上に伸びた。よっぽどのことがない限り、三日以上の休みはそうそう与えられないからね。ふっふっふっ。それだけ科学班も切羽詰ってたってことなにんでしょうけど、いや思ったよりもいい日数確保できたわ。その分の私の仕事は他に回るわけで、つまりクロスたちの仕事が増えるというわけではあるのだが。にやり、と口角をつりあげると、クロスは寝不足で張りのない顔で、ぎろり、と私を見る。

「お前、つくづく要領がいいな・・・」
「でもなけりゃ世の中渡ってけないって。あ、別の紙ちょーだい」
「・・・ちっ。おい、資料持ってくる。お前それにも目を通せ」
「面倒くさいわね・・・報酬は?」
「いい根性してやがるな。・・・酒はどうだ」
「なるべくいい奴でね。誤魔化しても私味わかるからダメよー」

 交渉成立、とにっこりと笑えば、不機嫌そうに舌を鳴らし、クロスはコートを翻してざかざかと足元の書類を踏みつけながら部屋を出て行く。その間、止まることを知らないように動かしていた手で、ぺらり、と出来上がった書類を放り捨てながらくるくる、とペンを回してにっこりと周りを見渡した。

「さーて。ちゃっちゃと仕事終わらせようか」

 交渉分はしっかりと仕事もしますからね、私は。