けだもの



 突然緩やかに訪れた息苦しさに、ふとまどろんでいた意識が浮かび上がる。
 気道が狭まり、酸素の通り道が急激に細くなっているからだ、と気づいたのは首に熱い誰かの熱を感じてから。大きなそれの、細かな一本一本が、徐々に力を込めていっているのがわかる。思いっきりいけば首の骨が折れるかもしれない。それほど首筋を掴む手は大きく、加えられる力は絶妙だ。次第に細くなる吐息、肺に回らなくなる酸素、苦しい、と訴える脳。―――せっかくの転寝が、台無しだ。

「――いきなり人の寝込みを襲うなんて、そんなに欲求不満なの、ソカロ?」

 飛びのくような勢いで上半身を跳ね上げて起き上がったソカロに、寝そべったまま薄く口角を吊り上げる。ソカロが動いたことによって起こった弾みで軋み、揺れるソファの振動を感じながら、前髪をかきあげてけほり、と軽く咳き込む。さすがに苦しかったな、と思いながら鬱陶しげに眉を潜めれば、ソカロは私を見下ろしながら、どこか引き攣った顔ではっ、と荒い呼吸を零した。

「く、くく・・・よォ、本当になんでお前はアクマじゃねぇんだ」
「あぁん?人の睡眠妨げといて第一声がそれ?いーい根性してんじゃないの」

 人の首を絞めて睡眠を邪魔した挙句、言うに事欠いてアクマじゃないことを責められるとはなんという理不尽なのか。丸焦げにすんぞこの野郎。ギロ、とただでさえ寝起きで不機嫌だというのに腹の立つことを言われて、取り繕う暇もなく睨めば奴は更に嬉しげに口角を吊り上げた。・・・これだから、戦闘狂いは嫌なのだ。相変わらず人の上に跨ったまま、悪人面も甚だしい顔を晒しているソカロに気味悪げに顔を顰めればそれもまた楽しいとばかりに伸びた無骨な手が頬を辿り、首筋に触れた。

「お前がアクマなら、さぞかし楽しい殺し合いができんのになぁ・・・」
「馬鹿ねぇ、私がアクマだったら、楽しい殺し合いになる前にさっさと殺してるわ」

 敵に容赦はしないの、知ってるでしょう?微笑んで、血管の上をぐっと押さえた指圧を感じながら言えば、ソカロは細い目を見開いて、それから大声をあげて笑い飛ばした。

「はーっははははは!!あぁ、そうか、そうかっ。俺ぐらい簡単に殺せるってことか、えぇ?
「少なくとも、あんたじゃ私は殺せないわね」

 私の首を片手で包み込めるほど大きなソカロの手は、相変わらず首の上の血管を辿っている。まるでここから血を噴出させようとする自分を抑えるかのように、何度も、何度も、太い指が布越しに触れては、軽い力をこめて肌に食い込んでいく。危険なことこの上ない、と周りは言うだろう。というかいい加減上から退いてくれないかなぁ。私はソカロの手を好きなようにさせながら、人の腹の上で片手で顔を覆い、笑いのツボに入ったのかくつくつと笑うソカロを見上げた。てーかこれ、他人がみたら誤解されかねない体勢。甘いものが何一つとしてない、殺伐としているのにも程がある現状ではあるのだが。

「全く、あれだけアクマを壊してなんでまたそんな欲求不満になるのかしらねぇ・・・」
「手ごたえがねぇんだよ。それになあ、合法の殺しも楽しいが・・・たまぁに、人間相手に刃を向けたくなるんだよ」

 そういって、恍惚とした笑みを浮かべるソカロに、イノセンスは本気で人選を間違えてる、とぐったりとソファに頭を鎮めた。

「だからって私に向けないでよ。折角もう少しで寝れそうだったのに」
「無防備に寝てるお前が悪い。大体、こんなところで寝てたら襲われても文句はいえねぇぜ?」

 こういう意味で、と首から手が外れ、手首を掴まれて頭上で固定される。そして近づいた顔と、薄い唇から伸びた舌が唇の端を舐めあげたときに、あぁ、とさして興味もなく吐息を零した。生暖かい舌がべろりと舐め挙げる感触はさすがにあまり好ましくはなかったが、さりとて大きな拒絶もなく頭上で縫いとめられた腕を僅かに動かしながら、なるほどねぇ、と頷いた。

「そっちの不満もあったのか。適当に花街にでも行ってきなさいよ」
「ここに据え膳があるのにか?」
「さすがに談話室でしたくないわねぇ・・・ていうか誰がやるか」
「この状態で反抗されてもな。力はさすがに俺の勝ちだろう、。大体、抵抗される方が燃えるぜ?特に、お前みたいな女の抵抗はよ」
「やぁねぇソカロ。本当に燃えてみる?全治何ヶ月になるかわからないけど」
「怖ぇなァ・・・その前に口を塞いでやろうか」
「残念。意識さえあればある程度のことはできるのよ」

 言いながら、近づいた顔にそれとも舌でも噛み切ってあげようか、と優しく尋ねればソカロは口角をにぃ、と吊り上げて、そっちの方が燃やされるより好みだな、と囁いた。相変わらず血生臭いことが好きな奴だな、と大変危険な体勢のはずなのに暢気なことを考えていると、不意にソカロが腕を開放して上体を起こした。ぎしっと再び揺れるソファに、ん?と首を傾げれば、ソカロとは違う低い声がどこか危うく、殺伐とした濃厚な気配を分断した。

「なに馬鹿やってる、お前ら」
「所構わずやってるテメェに言われたくねぇなぁ、クロス」

 ククッと笑いを喉奥で潰しながら、ぺろりと乾いた舌を舐め挙げたソカロから視線を外し、横を向けば談話室の入り口にもたれかかりながら、クロスが眉間に皺を寄せて呆れたように佇んでいた。

「おークロス。お帰りー?」
「あぁ・・・で。お前もなに馬鹿なことに付き合ってんだ」
「成り行き?眠かったのよ」

 ふわぁ、と欠伸を零していい加減どけなさい、と足をソカロの下から抜き出してげしっと蹴ると、つれないな、と馬鹿なことをほざいてソカロはやっと上から退いていく。あーやっと軽くなった、と思いながらこの状況じゃ二度寝も無理よねぇ、とうん、と軽く伸びをした。

「談話室でやるなよ。俺は人のもんを見る趣味はねぇ」
「私も見せる趣味はないなぁ。ソカロは知らないけど」
「見せるも何も、ヤッてたら大抵どこか行くだろうよ」
「野次馬根性溢れる人は見るかもしれないけどねー。・・・よっと」

 掛け声をあげながら体を起こし、ぎしっと背もたれに背中を預けながらナチュラルに下世話な話してるよな、とクラウドが聞いたら顔を顰めていそうなことを考える。マリアはきっと軽く頬を染めながら苦笑を零すのだろう。うわー二人とも乙女ー可愛いなぁ、想像の中なのに。
 ・・・あれ、私もしかして親父属性入ってる?・・いやいや、単純に精神年齢のせいだと思いたい。軽くショックな事実に直面しそうになりながら、寝乱れた髪を手櫛で直す。

「それにしてもなぁ、
「なに」
「お前、寝起きの方がいい殺気だすじゃねぇか」

 言いながら、それはとても楽しそうに、うっとりと笑いながらソカロが「この俺が、本気で殺されるかと思った」と嘯くので、あー、としゃがれた声を出す。クロスがピクリと眉を動かしたのに気づいて、ちら、と視線を向けながら若干遠くを見て、マジで寝てたらやばかったかも、と内心で呟いた。あれは転寝だったからこそまだ一瞬だけで済んだが、本気で寝ていたら理性の箍など簡単に消えうせていたことだろう。なんせその間の記憶がないぐらいだし。かといってそれを口に出すと面白がってやってきかねかい男なので、あえて口を閉ざして肩を竦める。え、さすがに夜中に部屋にこれに侵入されたくはない上に、睡眠を邪魔されたくはない。ていうか自分の部屋が半壊になるのはゴメンだな。そう思っていると、ぎしりと横が軋み音をあげるので、視線を向ければソカロが立ち上がっていた。無言でクロスの方へ・・いや、正確には入り口へと向かっていく。その背中が俄かに興奮の尾を引いているように見えて、私にはソカロの背しか見えなかったが、クロスは顔が見えたのか非常に鬱陶しそうな顔をしていた。

「ほどほどにねー」
「さぁてな」

 ひら、と軽く手を振って一応忠告してみるが、ふと見えた横顔の吊り上った口角に、しばらく訓練場立ち入り禁止にした方がいいかもなぁ、と備え付きの電話へと視線を向けた。そして遠のく足音の代わりに、別に近づく足音が聞こえて首を動かせば、仏頂面でクロスは軽くため息を零した。

「クラウドじゃなかったことに感謝しろよ」
「あー、そうねぇ。クラウドだったら間違いなく談話室が崩壊してたわねぇ」

 間違いなくラウ・シーミンけしかけて阿鼻叫喚になってただろうな。うんうん、と頷きながら同意を示すと、それはそれは呆れたように肩を落とされる。それから伸ばされた腕が、ふと髪を掻き分けてそっと撫でるように首筋に触れてきた。

「この痕も、隠しとけよ。問い詰められるぞ。クラウドと言わず周りにな。マリアも心配するだろう」
「あれま、やっぱり痕残ってる?」
「しっかりとな」

 辿る指先が髪を払いのけて離れていくのに、自分で首筋に触れながらまあ痕もつくよなぁ、と目を細めた。生憎と手元に鏡などはないのでどれだけくっきりとした痕なのかはわからないが、ソカロの力で首を絞められて痕が残らないはずがない。仕方ないので、脱いでいたコートを引き寄せて着込み、前をしっかりと閉じて隠してみる。・・・隠れたかな。

「隠れた?」
「・・まあ、それならそう目立たないだろ」
「ならまあいいか」

 しばらく首が見える服は着れないなぁ。ふ、と吐息を零してまた背もたれに背中を預ければ、クロスはタバコの火をつけながらテーブルの上に軽く体重を預けて上を向いて煙を吐き出す。もくもくと立ち昇っていく煙の動きを目で追いかけて、ぼやく。

「ソカロのあの性質なんとかならないものかしら」
「無理だろう」
「そうよねー。クロスと似たようなものだもんねぇー」
「あぁ?あんなのと一緒にすんじゃねぇよ」

 眉間にくっきりと山を作って心底不愉快そうに言ったクロスに、どっちも性質の悪さは似たり寄ったりよ、と笑って言ってやった。そうすると、益々と顔を顰めて無言でタバコを口に咥えるので、可笑しくなって零れた笑い声が談話室に軽く響いた。


 あぁ本当、性質の悪い男ってところは共通してるわよね。