01:二度目の聖域
そこに、扉がある。極々普通とは言い難い扉だ。大きさは人の背丈の倍はある。
大きすぎて見上げなくてはならず、首が痛い。そもそも見上げたくもないのだが。致し方ない、といえよう。
諦め、という言葉を背負い、溜息を吐き出してセフィロトを刻んだ扉に触れた。また前回のように無理矢理引きずり込まれて放り出されるのはゴメンだ。そんな目に合うぐらいなら自分から扉を開いて地面に立ってやるとも。
・・・出るところが地面かどうかは、それはもう気まぐれなカミサマに頼らなければならないが。触れた扉が、押しても無いのに弾かれたように開き、中から黒い触手のような不気味なものが蠢いて四肢に絡みついた。普通の人がこんな目にあったら発狂するな、とまるで他人事のように考えながら首に絡みついた黒い触手のような・・・人の手を模したものに触れて、ほんの少し首を捻った。自分の後ろに視線を流し、そこに座りこむ腹立たしくも抗えない存在をねめつける。
「行き場所は?」
『愚かなる神々の聖地さ』
聞いたことのある台詞に一瞬視線を虚ろにさ迷わせ――考える暇も与えられることなく、手が強引に扉の内側に私を引きずり込んだ。ってか、時間ぐらいもう少しくれたっていいじゃない!!喉が震えても声は出ず、こンの我侭真理めが!!と内心で毒づいて、目を奪うほどの光に反射的に瞼をきつく閉じた。体が揺らぐ。世界、というものを渡るが故に起こる歪は、光となって私に襲い掛かりながら、ふとした瞬間に唐突ともいえる感覚で消えうせる。
体に絡みついていたはずの手も消えうせ、気づいたときには足元にはしっかりとした固い感触があった。数度、ローファーでその地面を踏み鳴らして吐息を零す。
とりあえず、空中落下は免れたわけか。そんな心配している時点で自分、本気で順応してるなぁ、と思いつつ。圧倒的な光のせいで、今だチカチカとする目で瞬きをしながら視線を滑らせた。周りは、とっぷりと日が暮れていた。空は蒼から暗い藍色へとそのベールを変え、降り注ぐ明かりは焼けるような熱さから、まろみを帯びた冷たいものへと変わり。
真っ白な雲の代わりにそこには、昼間は隠れて目立たない星屑がこれでもかといわんばかりに散りばめられていた。標高が高いせいか、空気が薄く風が強い。ばさばさとスカーフと襟、そしてプリーツスカートが風に翻った。頬に鬱陶しくかかる髪をかきあげながら、飽きれるほどたくさんある星空を見上げて嘆息する。都会で、どれだけの星が見えるだろう。
まるで田舎の夜空のように、星はその小さな輝きを無尽蔵に夜のベールに纏わりつかせて、自分という存在を訴えていた。強く輝く星を着飾った夜の貴婦人は、たおやかな様子で柔らかに大地を見下ろしている。
「絶景かな、絶景かな」
ぽつりと空を見上げながら呟き、すっかり静まり返っている大地へと視線を戻す。
ぽつんと祭壇らしきものがある以外、そこは何も無かった。四方を太い柱で固め、天井のないまさしく「星見」をする為に作られたかのようなその祭壇以外に何もない。
人の気配すらない、いっそ無機質ともいえるそこに眉根を寄せ、まいったなぁ、と呟いた。
「―――よりによって、ここか」
せめて放り出すならもっと人気のある場所にして欲しい。ぼやきながら、髪を掻き混ぜて顔を顰めた。人っ子一人いやしない、ただ空を――星を眺めるだけの頂き。もっとも高い場所にある、大切な。恐らく眼下に広がるのは、真理の言葉で言うなら「愚かな神の聖地」であるのだろう。愚かとか。まあ、確かに、愚かであるとは言えようが。あいつにとってみれば大半が「馬鹿で愚かな愛しい虫ケラ」にすぎないのだろう。自分で言っててなんだが、ちょっと真理ってば腹立つなぁ!今更だけど。まあ別にそこはどうということもない。
問題は、ここからどうやって下に行くか、なんだよなぁ。
「階段もないしね・・・面倒な」
いや、別に肉体労働に訴える必要性はないのである。方法はいくらでもあるのだが、いかんせんこんなところでやってしまえばいらぬ騒動が巻き起こりかねない事実に、溜息が1つ零れる。ロッククライミングもできんことはないが、さすがに命綱もなしにやるのはちょっと嫌だなぁ。私セーラー服だし。例によって、学校からの帰宅中に強制連行されたわけで。
こんな格好でそんなことしたくない。しかも夜とか危ないし。やっぱり朝になって行動した方がいいのかな。でなかったら今現在皆寝てるだろうしなぁ。―――あぁ、でも。
「空間の歪みに発生する磁場を感知するぐらい、あいつ等なら出来るか」
記憶にある彼等を思い描きながら、私を覚えてるかなぁ、と思考を飛ばした。覚えててくれたら楽なんだけどなぁ。下に降りて不審者だなんだの言われて騒がれるのは勘弁して欲しい。そんな面倒事に関わりたくないのだから。いやそれの中心は自分であるんだけども。どうしてるのかな、あいつ等。たぶん別れたら一生会わないだろうな、って思ってたのにまさかまた会えるとは思わなかったし。異世界だし。まあ、どちらかというとここは「パラレルワールド」のようなものっぽいけど。
「どうするかなぁ・・・とりあえず行動するのは明日として、今日はここで寝るか」
幸い野宿なんて飽きるぐらいしたし。しかもここよりよっぽど危険な場所で。自慢していいのか、悪いのか。微妙なトコだな。
なんだかどんどん可笑しな人生スキルが溜まっていく、と思いながら、気を取りなおしてぽつんと取り残されたように建っている祭壇へ、踵を返す。
「・・・・ん?」
ぴくり、と肩が震えて足が止まる。祭壇に向けていた視線を明後日の方向に向け、感じたものに訝しげに眉をひそめた。懐かしささえ感じる、あぁけれどどこか何かが違う、力の波動。マナ、というべきか・・・ここでは小宇宙だったっけか。ともかくも、どこか覚えのあるその気配に足を止め、ゆっくりと目を細めた。サアァ、と雲が月を隠す。唐突に暗くなった視界に、不意にそれは現れた。闇夜に同化しそうな藍色の、裾の長い・・・・・・俗に法衣と呼ばれる服が、風に煽られて音をたてる。暗闇のせいで沈んだような法衣の模様は、きっと日の下で見れば見事といえる緻密なものなんだろうな、と想像を働かせて。
そこまで見れば、見なれた出で立ちに安堵の吐息も零せようが、私は思わずその現れた男を凝視して、即座に一歩下がった。いや、十分離れてはいるんだけどね。しかしそれでも、離れたく思う。だって。
「仮面かよ・・・!」
闇夜に浮かぶ顔は、生身のものではなくただの無機物。ぼぅ、と浮かび上がるように異常な存在感を放つ、怪しいことこの上ない仮面をした男が、立ち止まったまま私の方を見ていた。無表情なそれは、ぶっちゃけ軽いホラー並に衝撃的だ。嫌だな、夜中にみたくない系統の仮面だよあれは。しかも下からライトアップでもされたら、肝の小さい人はそれだけで心臓発作を起こしそうな。なんであんなもんつけてるんだあの人。怖いよ、普通に近寄りたくないよ。どうにも不気味としかいえないその男の出で立ちに、逃げるべきか、と一瞬逡巡した。格好だけ見れば知ってる人なのになぁ・・・仮面がなぁ。怖いなぁ近寄りたくないなぁ。
関わりたくねぇ!と内心で叫んでいると、仮面の男が、じり、と一歩動いた。思わず、警戒するように目を細めて一歩また下がりながら、男を見据える。
その時、ちょうど翳っていた月が、その姿を表した。大地を滑るように光が満たしていく。私や、仮面の男の上にも容赦なく光は降り注ぐ。きらり、と月光を跳ね返してより陰影をはっきりとさせた仮面に、益々不気味な!と内心で叫ぶと―――男が、大きくその気配を揺り動かして、叫んだ。
「先生―――!!」
「はっ?」
素っ頓狂な声をあげて、私は叫んだ男を凝視した。低く、しわがれた、といってもよいか・・・少なくとも若い男の物ではない声が、余韻を残すように空気に響いていく。
突然のことに、私はその場から動けず困惑したように男をみた。先生って・・・こんな不審人物に先生呼びされる覚えなんてないんだが?私が悩んでいると、当の本人は固まったようにその場を動かず、ただただ仮面の奥から私を凝視していた。どうするべきかなぁ、と眉間に指を添えて悩んでいると、固まっていた男が身じろぎしたように動く。気配に気づいて顔をあげれば、恐る恐る、男が近づいてきている。私は野生動物か。思わずその慎重っぷりに内心でツッコミながら、近寄ってくる男から逃げるわけにも行かず、ただその場で待っていた。この世界で、私を先生と呼ぶ人間なんて・・・・・ぼんやりと近寄る男の動きを見ながらつらつらと考えていると、不意に脳裏をある記憶が掠めた。幼い、無邪気な笑顔。
泣き顔、拗ねた顔、怒り顔、寝顔――記憶にも鮮やかに残る、それは。まさか、と目を見開くと、喉がひくりと引き攣った。男は、もう目の前まできていた。
「先生・・・先生、本当に、先生なのですか・・・?」
低い声。記憶のものと大分違う、深みを帯びた声が、期待と疑念を込めて呟かれた。
法衣の袖から伸ばされた細く、皺をいくつも刻んだ枯れた手が、ゆっくりと頬に触れて包む。大きな手だった。これもまた、記憶していたものと違う。あの手は、こんなに大きくなかった。
もっと小さくて、容易く私の手に収められた。背だって違う。こんなに高くなかった。腰ぐらいまでで、小さかったのだ。本当に、小さくて幼かったのだ。こんな、私よりも遥かに年上のような、深いものを感じさせる者ではなかった、はずだ。片手から両手に変えて、頬を包んだ男にぴくりと肩を震わせて、探るように男をみる。
「あぁ、けれどそんなはずは・・・こんな、若いはずは・・・貴女は、」
戸惑ったように触れている手が震える。男は、頬を両手で包んだまま、うわ言のようにそう繰り返した。私は、その男の様子を観察しながら、一つの仮定を導き出す。
有り得てはいけない。けれど、有り得る事実を。いや・・・あの世界が相手ならば、これぐらいの余興はしそうだ。有る意味突拍子もないといえる考えに、密やかに外れてくれればいいな、と思いながら愉快犯そのものであるあれを思い浮かべて、嘆息した。
びくり、と男が怯えたように肩を震わせる。それでも、手を放そうとしないところは流石というべきかなんなのか。皺の目立つ、骨が浮きあがったような手に一度触れてから、そっと男の仮面に手を伸ばす。男は、避けることもせずに、私の手が仮面にかかるのを待っていた。従順ともいえる態度に、あぁやっぱりそうなのかあれなのか、とそう思いながら手に力を込める。
無言で、私は男から仮面を取り払った。
明るい月明かりに、照らし出される。ふわり、とこの仮面のどこに収められていたんだ、と疑問に思う銀に冷たく輝く長い髪が、法衣の背中に流れて。顔の横を、一房の髪が滑り落ちる。深い年輪のように刻まれた皺。年老いた証。そこにあるのは紛れもなく長い年月を生きている、老人の顔で。
「・・・・・・・何てこった」
自分の目に映る姿に、確かな面影を見て取って、私はそう零した。男は、困惑の表情に、信じられないと書いて、私を見つめていた。