03:二人目の再会



 土を踏みしめる。頬にかかる水飛沫の冷たさに目を細めながら、壮大な光景に感嘆の吐息を零した。落ちていく滝の水流が、緑の中に白く栄えて例え様もなく美しい。
 ドドドドド、と腹の底を震わせるような低く重厚な音が、滝壷から辺り一帯を占めるように響き渡る。鳥の囀りさえその音量に掻き消され、全ては滝に支配されているかのよう。
 下をみれば、渦をまくような滝壷が見えるのみ。落ちてくる水によって泡立つ水面は、静まり返ることなく常に揺れ動き、下流へと流れていっていた。自然が作り出す壮麗たる芸術は、やはり人の手では如何ともしがたいものだ、と笑みを浮かべながら思う。
 本当に、見事な自然の創造物。大滝の前で、その圧巻する風景を眺めながら、ついと視線を巡らせた。

「確か、この辺にいるって話だけど・・・」

 廬山五老峰。今、私は、聖域から離れて2人目の弟子(といっていいものか)がいるという山脈に来ていた。
 明けて翌日、早速ここに出向く際にややシオンが不満そうだったのだが・・・いきなり聖域にセーラー服姿の女がいてもあれかと思うし。とりあえずある程度の準備をしろ、と言い置いたので、今頃きっと色々奔走してるだろう。一応、生きているという情報を貰ったんだから、会いに行くのが昔のよしみ。ていうかシオンと同じくそんな化け物並に生きている弟子が非常に気になるだけなのだが。だって2世紀を余裕で生きてる奴等だよ!?どんなことになってるのか非常に気になるじゃないか。私はそんな化け物のような延命方法教えた覚えはないんだけどなぁ。本気で努力と根性でやられてたら、もう「すごいねぇ」としか言えなくなる。つらつらと大滝を眺めながら、そんなことを考えつつ、ざくざくと足を進めた。しかしながら、セーラー服姿でこんなところにくるのも中々シュールな光景だ。
 さながら昔のギリシャのような建物が並び立つ聖域でセーラー服でいる、というのもおかしな話だが・・仕方ない。思いっきり違和感のある風景とのミスマッチさに半笑いになりつつ、シオン曰くどっかで座りこんでるという弟子の姿を探す。しっかし、冥王の監視という任が与えられたとはいえ、よく231年もの間こんな所で座り込んでいられたな。大した精神力だ。ていうかそんな長い間生きてられるとは思わなかったけども。

「それにしても一体何処に・・・・ん?」

 歩きながらきょろきょろと目的の人物の姿を探していると、不意に一歩突き出た崖(のような?)場所にちょこんとなんかちっさい影が確認できた。よくよく目をこらすとなんだかキノコみたいな形のちっさな人影に見えて・・・なんかかなり小さい気がするんだけども、とぼやきつつあれ以外にそれらしき人影は見えないのでとりあえずそちらに足を進めた。
 なんだろうな・・・遠いのかな。ていうかやっぱ小さすぎる気がするんだけど。色々と思いを巡らしつつ、徐々に徐々に人影に近づいていく。はっきりと視認できるほどに近づけば、キノコみたいな形だと思ったのは人影が笠を被っているからだということに気づいた。いや、しかし・・・。

「・・・・・ちっさ?!」

 いやいやいやいやいやいやいやいやなんだあの小ささは!!前方に見える座りこんでいる人影・・・座っていることを差し引いてもやっぱり小さ過ぎるその身長に目を見開く。
 なまじシオンが普通だっただけにあの小ささは驚きだ!!あれか、あれなのか?!もしかして子供なのかな・・・?と一縷の希望を込めて推測してみるが、しかしながら感じられる年月を刻み込んだマナ・・・小宇宙、は知ったものである。つまりは、自分の感覚を信じるのならあれは弟子その人であるというわけで。しかも五老峰にはその人物しかいないわけで、実際大滝の前に座しているのはこの人物しかいないわけで。つまるところ。

「何者じゃ」

 やっぱそういうことになるんですか。振り向きもせず、ゆったりとした口調で誰何をかけた声は、低くしわがれていて。年老いた老齢のそれに、子供説は案の定消去される。
 ドドドドドド、と低い水音が辺りの音を占めて、私はどうしたものかと思考を巡らし――笑みを浮かべた。

「人が来たというのに、背中を向けたままというのはどうかと思うわよ」

 結局、なにをどう考えても目の前に座している人物がその人である、という事実しか私にはなく、ならばそこは素直に認めて、常のようにあるのが適切であろう。考えが纏まれば、おのずと余裕も生まれて私は悠然と腰に手を当て老人の背中を見つめた。
 小さすぎる背中は、有る意味昔の姿と変わり無いものに見える。けれど、そこにあるのは未熟なまでの若若しさでもなく、老成した熟練の気配。穏やかに流れていく時間の中で、童虎の背中が僅かに揺れ動いた。身じろぎをして、けれど中々振り向かない彼に僅かばかりの苦笑を浮かべる。恐らく、気がついたのだろう。けれど、信じられないのだろう。
 覚えのある気配に、気がついても、理性はそんなはずがないと否定している。混乱の中で、結局恐れを覚えて振り向けない。そんなところだろうな、と思いながら笑みを含ませて私は再度口を開いた。

「人と話す時は目を見なさい、と、確か教えたはずだけど?よもや忘れたわけじゃないでしょうね、童虎」

 その瞬間、今度こそ童虎の肩が大きく動揺に揺れた。波紋を描くように震えていく小宇宙に、くすりと笑いながら砂利を踏みしめる。一歩近づき、駄目押しとばかりに名を呼んだ。

「こっちを向きなさい。いつまで師にお尻を向けるつもりなの、童虎?」

 それは、相手に抗えないような響きを持たせて。滝の音に紛れるように消えていく、そんな声だったけれど。しかし、確かにその呼びかけは届いただろうということは確信していて、私はただ動揺に揺れる背中を見つめた。やがて、彼が動く。とてもぎこちなく、ゆっくりと。
 錆びたブリキの人形のようにやたらと固い動作で振り向いた童虎は、目を見開いて私をその視界に捉えた。顔にありありと浮かぶ驚愕は、シオンと似たような表情で可笑しくて僅かに咽喉を震わせる。絶句している童虎に、からかいを含ませてにやり、と口角を吊り上げた。

「なぁに?そんな幽霊でも見たような顔して」

 悠然といえば、益々童虎は目を見開いて硬直した。笠の下から見える瞳が限界まで開ききってるのが可笑しい。あぁ、なんというか・・・ここまで好反応返されるともうなんか面白いっていうか!振り向いたままで、童虎は戦慄く唇を小さく動かした。

「お、し、しょう・・・・?」

 掠れた声に、答えるように笑みの種類を変える。それこそ滝に掻き消えそうな声だったけれど、確かに聞こえた声はまるで夢心地のように現実感が伴っていない。こちらを振り向いたまま、固まっている童虎に目を細めて、無造作に歩み寄ると動けないのを良いことにさっと笠を取り払った。笠の下から現れたのは小さな老人。深い皺がいくつも刻み込まれた姿に、やはり隠しようの無い年月を知った。しかし。

「ちっさいなぁ・・・いくらなんでも縮みすぎじゃない?童虎」

 ていうかぶっちゃけ妖怪っぽいんだけど。顔を顰めていうと、童虎は僅かに絶句して―――それから、滝の音を掻き消すような絶叫が響いた。

「何故貴方がおられるのですかあぁぁぁあ!!!???」
「まあ、諸事情で」

 叫んだ童虎に、いたって普通に私はそう答えた。