06:弟子の在り方、私の在り方。



 部下の尻拭いは上司がするべきである。なんとも言えない、まさに気まずい教皇の間で、その思考に至ると私はシオンの肩をぽん、と叩いた。

「じゃ、後は任せた」
「はい?」

 間の抜けた声で、こてりとまるで子供のような動作で首を傾げたシオンに、にっこりと微笑みひらひらと手を振って踵を返す。そのまま唖然としている周りが自我を取り戻す前に、私はさっくりと教皇の間から出ていった。茫然自失状態の黄金少年2名をシオンに押しつけた私は、そうそうに奥に引っ込むことに決めたのだ。いや、だって面倒だし。説明するの。
 それに、私が説明するより教皇自ら説明した方が収まりもいいだろう。奥に引っ込んだ私はとりあえずシオンの部屋まで行き、その道すがらシオンからの小宇宙通信で、しくしくと1人で帰らないでください!!という訴えをかけられたが、快く無視をした。だってほら、弟子ってこうして厄介事を押しつける為のものでしょ。
 鬱陶しいことは鬱陶しいが、それも私が一言名前を呼べば万事解決である。幼い頃の刷り込みというものは本当に、絶大なる効果をもたらすものだなとしみじみと思った。シオンと童虎は、恐らくアテナ以上に私に逆らえない体質になっていることだろう。
 至極、私にとって都合のいい体質になったものだ。例え狸になろうと狐になろうと腹黒くなろうと好好爺になろうとも、所詮弟子はどこまでいっても弟子である。弟子は師匠に使われる運命なのである!可愛いことは可愛いし、慈しみもするが、やはりこういうことで使ってこそ、師匠というポジションの美味しい部分が発揮されるというものだ。
 世の中には師匠よりも弟子の方が上手な師弟というのも存在するわけだが、ここでそれは当てはまらないし、当てはめさせる気もない。私に勝とうなんざ、200年生きてもまだ早い!私に勝ちたいのならば真理にでも落ちて異世界を放浪してみろってなもんだ。
 むしろそろそろ私を娯楽に付き合せるのは止めて欲しいと思う。なんでこんな微妙に広すぎるネットワークを保持しなければならないんだろう。異世界に知り合いたくさん作っても、現実問題私の世界では意味がない。非科学的な部分は一切適用しない世界だから、身につけたスキルも元の世界では何の意味もないし。まあ、人生経験とか人間的には色々レベルアップしたと思うが。世の中、この強かさが鍵なんだから!さてもとにかく、シオンの部屋に辿りつく間に悲鳴というか絶叫というか動揺の小宇宙というか、そんな感じのものが廊下を介して伝わってきたが、すでに慣れたものなので通りかかった女官さんにお茶と茶菓子を教皇の部屋まで持ってきて、と頼んでおいた。不思議そうに私を見た女官さんだが、立派なことに疑問の一つもぶつけず、快く頷いてくれたのが素晴らしい。女官、メイド、執事その他諸々仕える側の人間の鉄則として、仕え主に関係することで質問など持っての他、という厳しい掟がある。例えどんなに不思議に思おうとツッコミたかろうと、その辺りのことはタブーなのである。無論稀にそんなもの知ったことか、という素敵な我が道従者もいたりするわけだが、その場合非常に優秀であり、基本的に主をやり込めるほどの強かな性格であったりするわけだ。この場合は、私があまりにも普通に堂々として、加えて教皇の部屋に、という文句から彼女の頭の中で「教皇猊下に関係する、自分よりも上の立場の人」という認識が働いたのだろうと思う。まあ、面倒なことにならないのならば勘違いさせておいてもいいだろう。あながち勘違いでもないのだが。ということで、シオンの部屋で女官さんが持ってきたお茶と茶菓子でまったりとティータイムを満喫する、私なのでありました。
 ついでにシオンの部屋に置いてある本など手にとって黙読もしてみる。ギリシャ神話が置かれているのはやはり、当たり前のことなんだろうか。暇潰しにはもってこいだが。
 部屋のデスクにはいくつかの書類が置かれているが、その辺り自分には関係ないことなので視界から排除。ていうか、書類とか懐かしい。東方司令部では小人のごとく影で手伝っていたものだ。もっともシオンは大佐のように溜めまくる、ということもないらしく、数は少なそうだが。しかし、処理速度が追いつかなければ溜まっていくものなんだけど。
 ぎしり、とふかふかのクッションで豪華というよりも芸術的な椅子に腰掛けて、紅茶片手に読書開始。さて、シオンが説明し終えて帰ってくるまでにどれほど読めるかな。





 向けられる視線は好奇一色である。不信でないだけマシといえばそうだが、しかしあえて向けられたいと思う類の視線でもない。そもそも、注目を集めるのはさほど好きではないのだ。母上様の武勇伝のごとく、学校を拠点に辺り一体を領土にするような、そんなことをしたいと思うような支配者意識も私にはない。例え出きるとしても(それだけの能力はあると自負している)基本的に私は日々それなりの刺激があれば事足りる。極々平凡な毎日を好む、差し障りない人種だ。例え能力や性格やら色んなものがそこから逸脱してようと、本人としては平凡をこよなく愛する平和主義者。ていうか、面倒なことが嫌いなのでそんな統治者になりたいとは露にも思わない。有象無象に埋もれつつ、自分なりに楽しんでいければそれで良いと思う。人生、楽しんだ者勝ちだろう。そして楽しみ方は色々だ。
 というわけで、好奇の視線というものは至極鬱陶しいと言うほかない。しかし、向けられる理由もそれだけのものがあるのも理解しているし、無視すればいいだけの話しだから特に気にする事もないが。好まないだけで。だから、横から注がれる視線さえも私は無視をすることに決めていた。例えこの部屋が教皇・・・シオンの部屋であり、好奇の視線を向けてくるのが黄金少年2名であり、そしてシオンがその後ろで不満の小宇宙を垂れ流していようとも、わざわざ口火を切ろうとは思わなかった。何故かって?丁度今面白いところだから、本の内容が。ぱらり、と黄ばんだページを捲ると、不意にシオンの大きな溜息が洩れ聞こえた。聞こえよがしで、明らかに私に向けてのだとは判るが、やはり内容が気になるので無視をする。

先生・・・」
「なに」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・気づいているのではないですか!」
「当たり前でしょうが。で、何?」
「先生、せめて本から顔ぐらいあげてくだされ・・・」
「後少しだから・・・・10分。それまで待て」
「はい」

 さっくりと言い返すと、はっきりと肯定の返事を返したシオンは、やはり私には逆らえないらしい。横から注がれる視線に、更に驚愕がプラスされたのがわかった。まあそれよりも、さくさくと読みきってしまわなければ。ということでまた私は本の世界に没頭し、きっかり10分後、ぱたんと本を閉じる音が室内に響いた。結構面白かったなこれ。と本の背表紙で肩を叩きつつ、顔をあげる。その瞬間飛びこんでくるキンキラキン。うぁ・・・目が痛い。

「きっかり10分。お流石です」
「そりゃどうも。で?説明は勿論したんでしょうね」
「はい。それで、まあ自己紹介ぐらいは本人達でするべきだろうと思いまして、連れてきました」

 光を跳ね返して輝く黄金の聖衣(あれは売ったらどれぐらいの値段になるのかしら?)に目を細めつつ、頷いた。まあ、それぐらいはしてやらんとな。相変わらず興味津々の、子供らしい目の輝きに微笑ましく思いつつ、にっこりと笑いかける。

「初めまして。私は。シオンから聞いてる通り、牡羊座と天秤座の師をやっていたこともあった一般人よ」
「いやいやいやいや、そこですでに一般人ではないでしょうが」
「心意気はいつまでも一般人でありたいという、言わば願望?いや本当、こんな珍妙なことに巻きこまれたくなんてなかったし」

 即座に突っ込んできたシオンに、頬に手を添えて俯きながら溜息を零す。本当に、普通ならこんな人生の裏街道突き進むようなこと、あるはずがなかったのにねぇ。
 人生、何が起こるかわかったものじゃない。とりあえず、微妙なシオンの視線に、軽く口角を持ち上げる。

「まあ、巻きこまれたのは仕方ないし、嫌だけど別にあんた達のことが嫌だったわけではないから。さて、そこで呆然としている黄金少年達よ、さくさく名乗れ」
「は、はい!射手座のアイオロスですっ」
「ジェ、双子座のサガ、です」

 びく、と肩を揺らして背筋を伸ばした2人が、そうやってしどろもどろに名乗るのにただ笑みを口端に浮かべる。物凄い畏敬が篭められてる気がするんですけれども?
 びくびくと恐縮しつつ、しかし視線は好奇心に彩られて。顔立ちは・・・まあたぶん、10代、ぐらい?西洋人って年齢の区別がつけにくいなぁ。まあ、これは大人っぽいとか飛び越えてる気がしないでもないが。

「そんな畏まらなくてもいいわよ。シオンの師匠とかいっても、私の地位が高いわけじゃないし(むしろ私ここで地位なんてないしね)普通にお姉さん、としてくれていいから。ちなみにいくつ?」
「2人共十を数えております」
「・・・・・・・・・・・・・・へぇー・・・・・・・」

 えぇーまだ10歳なの?これで??まあ世の中年齢詐欺師はたくさんいるし、私の知り合いにもそれはもう色々いたからいいけどさ?しかし、あれねぇ。世の中年相応ってあんまりいないわね。比乃といい、蛇神先輩といい、某テニス部員達といい。数えるとキリがないからあえて無視しますけれども。微妙な相槌を返すと、3人が不思議そうに首を傾げたので、笑顔で誤魔化しておく。

「とりあえず、そういうことだから。普通でいいよー?」
「で、ですが教皇の師ともあろうお方に、そんな無礼は・・・」
「本人が良いって言ってるんだから気にするな」

 空の1番深い所の青のような、鮮やかな髪を持った少年が、きゅっと眉を寄せるのに、こいつはぁ苦労しそうだと思った。確か、サガだったっけかな。双子座のサガ。
 幼いくせに憂いの強い秀麗な顔立ちをじっと見つめる。顔立ちは整っている。これはあと何年もすればさぞかしいい男に育つことだろう。もっとも中身が伴ってくれなければいい男も台無しだが。観察しながら、不規則に揺らめく10代ながら流石黄金の一人だとわかる小宇宙に、笑みを刷いた。憂い、差す影、入れ替わる小宇宙、好奇、光、・・・・・ふぅん?眇めた瞳に、サガがびくりと肩を揺らす。ぎくりと、強張ったような仕草に隣の少年がサガをみた。それを流して、手を伸ばし、頬に触れる。硬直するサガは、見開いた目で私を凝視した。頬にかかる蒼髪を耳にかけてどかし、露わになったまだ丸みの残る柔らかな頬のラインを包み、撫で、頷く。

「笑いなさい。子供がそんな憂い顔をしちゃいけない」
「え?」
「幼い内から暗い顔してたら、でかくなってもそんな気質の人間になるわよ。子供の内は笑って怒って泣いて楽しんで、怒られて泣かされて、伸び伸びとするべきよ」
「あ・・・」

 震える口唇から零れた小さな声に、にっこりと笑う。無意識にだろう、後ろに下がりかけていたサガが、息を詰めて止まる。頬を包んでいた手を放して、ぐしゃぐしゃと髪を掻き回し伸ばした腕を引っ込めた。

「まあそれはさておき、敬遠されるのは好きじゃないの」
「じゃあ、普通でいいんですか?」
「そ。普通でいいのよアイオロス」

 目を瞬いて問いかけてきたアイオロスに、即座に頷く。いやでも本当に、シオンと童虎の師だという以外で、ここでの私なんか部外者もいいところだ。聖闘士ですらないのだから、下手に畏まられても困る。サガが固まったまま私を凝視しつづけるのとは裏腹に、アイオロスの方は順応性がいささか高いらしい。子供らしい快活な笑みを満面の浮かべ、じゃあって呼んでもいいんだ?と問いかけてきた。シオンがぴくりと動いたが、視線で制すと肩を竦めた。仮面の下では苦笑でもしているんだろう。

「好きなように。あぁ、だけど」
「なに?」

 小首を傾げたアイオロスに、にっこりと笑いかける。その瞬間シオンの気配がびくびく!と揺れ動いたが無視をした。ついでにサガも若干一歩引いたような気配がしたが、それもまた無視して。アイオロスは、その周りの反応にも気づかないようにただ無邪気に私を見つめて、鈍いんだなぁと私は思いながらぐわし、と音をたてて頭を掴んだ。

初っ端の攻撃忘れたわけじゃないわよ私は。あれが本当に一般人だったらどうする気だったのかしら。ねぇ?アイオロス?」
「い゛だだだだだだだだだだだだっ!!!」

 徐々に指先に力を篭めながら、にこにこ笑顔だけは崩さない。痛みと威圧感に、顔を青褪めさせるアイオロス。悲鳴のような謝罪が繰り返されるのに、さしたる時間は必要なかった。確かに、私は聖域で地位もなければ部外者も同然である。畏まられる必要もなければ、畏敬の念を向けられたいわけでもない。しかし、いきなり下手したら死ぬような攻撃されて怒らないでいられるほど下の人間になるつもりもないってことは、重々覚えておくように。