08:あ すとれぃ きゃっと
「・・・助けてっ」
蒼い瞳を目一杯潤ませて、飛び込んできた子供を軽やかに避ける。ずべぇ!と顔面から音をたてて転ぶ様に、あぁ受身ぐらい取れば良いのに、と他人事のように考えた。
いやだってほら、明らかに光速の動きに近かったしね。あんなのに突進されたら骨の1本か2本、いっちゃいそうじゃない?(普通はそれだけですまないなんてツッコミは遠慮する)
誰にともなく言い訳をしつつ、跳ねあがるように起きる子供に首を傾けた。
鼻の頭を擦りむいた状態で涙を浮かばせながら(最初から泣きそうだったが、これは痛みからの涙だろうか)抗議されるか、と考えた私を、子供はちょっと斜め上に飛んでいった。
自分の遭遇率の高さに、私はただ感心するばかりである。ていうかむしろ褒め称えるべき?一見ここはどこぞの荒野だろうか、と疑うばかりの荒れ果てた大地に、ごろごろと転がる岩の数々。私の記憶が正しければ、昔はまだここも緑がそれなりに生い茂っていた気がする。神殿、というか家屋?らしきものも確かあったように思うのだが、前聖戦の時にここもまた破壊され、そして手がつけられることのなかった場所なのだろう。聖域と一口に言えど広大である。中心となる十二宮と教皇宮、アテナ神殿を復興させるのに一杯一杯であったろうし、何より前聖戦ではシオンと童虎以外は生き残らなかったというのだ。
なんというシビアさ。その状態でこんな末端まで手を回すなどまず不可能だろう。
まあそもそも、ここは中心から結構離れていることだし。不便さも際立って、わざわざ建て直す気にもならなかったのだろう。それならいっそ別の立地に建てていくのも一つの考えである。岩と混ざり、白く家を支えていた石柱も最早ただの瓦礫となった一帯を見まわして、微苦笑を零した。栄光の末、というわけでもないが廃墟はどこか物悲しさを覚えさせる。
さらさらと乾いた砂が、同じように乾いた風に舞いあがり薄く視界を曇らせた。
そうして辺りを見渡していけば、崩れ去って瓦礫と成り果てている柱の物陰に、一つぽっこりと小さな影が紛れ込んでいるのが視界に入る。風の音に紛れて届くぐすぐすと鼻を鳴らす音に、ビンゴかな、と思い当たりながら砂利を踏みしめた。
「アイオリア」
おそらく、ではあるが十中八苦のノリで、聞かされた名前を呼ぶ。この少年の兄から、弟がいなくなったんだ!と泣きつかれてから数十分、それらしき子供は物陰でびくり!と肩を震わせて振り向いた。岩陰は薄暗いが、少年を判別するのにさほど障害になるはずもない。
泣き腫らした蒼く大きな瞳。濡れた金色の睫毛に癖の強い茶色味がかった金の髪は襟足までだ。不安と驚きに歪んでいるあどけない顔は、なんていうかまんまアイオロスをミニマム化させたかのようにそっくりである。なんていうか、あいつがこの子ぐらいの時はこんなんだったんだろうな、と思わずにはいられないほどに少年はアイオロスに酷似していた。
あれとの相違点を探すのならば、まだ顔はあれに比べて遥かに幼いしあどけない。
衣服から伸びる手足は白くほっそりとしてまだ小さな子供特有の未発達さであり、所々汚れて擦り傷まである。筋肉もさほどついているわけではなく、寸胴で子供らしい体型なのだ。ぺたりと座り込んで投げ出された剥き出しの素足は、長いこと歩いていたからか幾分かの靴擦れさえあるようだった。満身創痍である。子供ながらこんな聖域でも辺境の地に来ているのだ。そりゃボロボロにもなるだろう。1人納得して、ポカンと口をあけて瞬きをしている子供に、軽く首を傾げた。
「アイオリア、でしょう。全く、こんなところまでよく来れたわね」
「おねえちゃ・・・だれ?」
感心と呆れを含ませつつ、肩を落とすと、アイオリア、とおぼしき少年は蒼い瞳をしきりに瞬かせ、こてんと軽く小首を傾げた。瞬きした拍子にまだ残っていた涙が、ぽろりと頬を伝い落ちていく。けれども、人の出現に驚きと安堵が芽生えたのか、それ以上の涙が零れることはなかった。舌ったらずな調子で問い掛けられ、歩み寄りながら近くまで言ってしゃがみ込む。視線を合わせれば、アイオリアは無垢な様子でじぃ、と私を見つめた。
「私はよ。アンタのお兄さんに頼まれてアンタを探してたの」
「?おねえちゃが、?ぼく、しってーよ。にぃちゃがいつもおはなししてくえたっ」
パッと顔を上げて、声をあげた少年・・・アイオリアに、へぇ、そうなんだ、と返しながらにっこりと微笑みかける。まあ私を知ってるなら話は早い。ちょっと何を話していたかは気になるけど、そう変なことは言ってないだろう。言ってたらちょっとお仕置きしとかないとねー。
そう裏で考えながらキラキラとした目で私を見てくるリアの癖っ毛にぽんと手を置いた。
「じゃ、さっさとお兄さんの所に行こうか。いつもまでもこんな所に居たくないでしょ」
「うん・・・にぃちゃ、おこってゆ?」
「いや。心配してるよ。それはもうものすっごく」
あんなに取り乱したアイオロスは初めて見たぐらいに。いや、言うならば年相応な、といった方がいいのかもしれない。今にも泣きそうに縋りついてきたアイオロスに、よほどこの弟は大切らしい、と思いながら微笑みを浮かべる。唯一の肉親だと言っていたのだから、それも当然なのだろうが。そして弟もまた、兄のことが好きで堪らないらしい。
心配している、という言葉にはっと目を潤ませて、落ち込んだように項垂れた。
それと同時に、兄を思い出してしまったが為に、今までの不安やらなんやらがいっしょくたになったのだろうか。じわじわ、と浮かんだ涙はすぐさま大粒のそれになり、ボロボロと零れ落ちていった。ぐすぐすと鼻を鳴らしていたのとは違い、うわぁーん、と大きな泣き声をあげるリアにあらら、と膝の上に肘を置き、頬杖をつきながら微苦笑を零す。
ま、泣くのも仕方ないし、無理に泣き止ませる必要もないだろう。童虎とシオンもこんなだったしなー。と、思いながら手を伸ばした。ぐずぐずと泣く子供の脇に手を差しこんで、よっと一息に抱き上げる。そうすれば、驚くよりも先にリアは小さな手を伸ばして、私の首筋に齧りついてまた泣き声を大きくさせた。うわぁ、耳元での大音量はちぃとばかしキツイですよ。
苦笑しつつ、仕方ないよなぁ、とぽんぽんと背中を叩いてやり過ごす。
なんだか子供の扱いが手馴れてきたな、私。そういえば、なんでこの子こんなところまで来たんだろうか。いくら道に迷ったとはいえ、こんなところまでくるのは中々難しいと思うんだが。まあでも、時折素晴らしいまでの方向音痴とかいるし。どこをどうしたらそこに着くんだよ!?というツッコミをしなければならないぐらいの、とかね。でも、なんで道に迷ったんだろう。ロスのところにでも行くつもりだったのかな?つらつら考えながらぼんやりと思考を巡らしていくと、どれぐらい時が経っただろうか。やがて大きな泣き声はどんどん小さくなり、やがてずるずると鼻を啜る音と、断続的な嗚咽程度に収まった。首に回されていた腕の力も弱まっていく。背中をぽんぽんと叩いていたのからゆっくりと撫で擦るように変えて、少しばかり密着しているリアを離す。ぐすぐすと鼻を啜るリアの、すっかり腫れぼったくなっている目蓋に、これは後で冷やさないと、と考えて服の裾で頬をぐしぐしと拭った。
「よく泣いたねぇ、リア」
「だ、だっ、て・・・に、にぃちゃ、が、・・・っ」
「そうね。だから早く行って、ロスを安心させてあげないとね」
「う、うん・・・っ」
「ん。良い子。さ、行こうか」
よいしょ、と声を出しながらリアを抱き上げたまま立ちあがる。リアは、私の首に腕を回したまま頬を肩口に押しつけて、今だ収まらない嗚咽に肩を上下させていた。
さてさて、ロスに連絡いれておくべきかしらねー。そう思えば、早速小宇宙を繋げようとロスの小宇宙を探る。見つけやすいには見つけやすいんだけどねー・・・えーと、ロスのは、と。
「あっ」
「ん?」
探し始めたところで、リアが小さく声をあげる。その声に一端探るのを止めると、首を伸ばして正面を凝視しているリアに眉宇を潜める。それから視線を追いかけるようにして動かせば、きらりと黄金色の何かが視界を掠めた。え、と思った瞬間、リアが慌てたように声を張り上げる。
「まって!」
「っちょ、リア!」
ぴょん、と私の腕から飛び降りたリアに慌てて声をかけるも、私の声なんか耳に入ってないように、瓦礫の合間をリアはするすると「何か」を目指して駆け出していく。
その小さな後ろ姿を、軽い溜息と共に追いかけた。お前、2歳児の癖に身軽だなおい?!
あー・・・・なんか、嫌な予感、というか。あまり望ましい気配ではない。眉を潜めつつ、待って!と声をかけながら走るリアを追いかけ続ける。追いつくのは容易いことだが、果たしてリアは何を追いかけているのか。懸命に走る子供の、追いかける先をみる。
何も、ない。―――いや。
「っリア、止まりなさい!」
「ふぇっ・・・うぁっ!?」
リアが私の声に立ち止まり、振り向いたのは一瞬。がくん、とリアの体がぶれたように、下にズレた。同時に、がらん、と何かが崩れる音が辺りに響き、見開かれる蒼の瞳が更に青い空を映し出す。小さな体は、容易く宙を舞った。
「リア!!!」
お約束?!あーくそ!!だーから嫌な予感がしてたのよーーーー!!!
内心で悪態を吐き、地面を思いっきり蹴り飛ばす。切り立った崖に身を躍らせて、呆然と四肢を広げて崖下に放り出されているリアの体を、目一杯伸ばした腕で捕まえた。
細い腕を掴み、引寄せればあっさりと小さな体は腕の中に仕舞い込まれる。ぎゅ、と抱きすくめて、ぐるりと体を空中で捻らせれば、私の位置とリアの位置が逆転した。
一瞬見えた足元には、広がるばかりの大自然。幸いなのは緑が一面に広がっている、ということだろうか。衣服がはためく。打ちつける風は結構痛い。耳の横を凄まじい唸り声が通り過ぎ、全身に感じる重力という地方も無い力。そして浮遊感とでもいうのか、この安定のなさ。思わず口端に微笑が浮かんだ。あぁ、なんていうか。
「懐かしいなぁ、これ」
いつぞやの高速自由落下を思い出すよ。思わず感傷に浸りかける私を現実に戻したのは、呆然としていたリアの尾を引くような悲鳴だった。つんざくようなそれに、はっと気づいて苦々しい気分になる。あぁ、まずい。こんなところで感傷出きるようになったら、私人としてお終いだ。ここは焦るべきシーンだ、と思い当たり、溜息を零してリアを抱く力を強める。
そうして抱きしめ返してくるリアの、思いっきり恐怖に引きつり歪んだ顔ににこ、と笑いかけて。まあしかし、今更だ、と開き直りを私はしてみせた。あの時のに比べれば断然低いし、それよりあの時の私と今の私は全然違う。そして何より。
「今更この程度じゃ、なぁ・・・」
風の音に掻き消える呟きを零して、小宇宙を高めていく。今までの経験を考えれば、冷静になるのも仕方ないと思うんですが。どう思う?天国、健ちゃん。問いかけに、答える声はなく。代わりに、届いたのは。
私にしがみついてワァワァと泣き叫ぶ子供の声と、木々の、静かなざわめきだった。
※
「リア、リア!・・・よかったぁっ」
そういって、すっかり泣き疲れて眠ってしまっている弟を、アイオロスはくしゃりと顔を歪めて抱きしめた。事の原因である弟は、抱きしめられたというのに僅かに身じろぎをするだけで、むにゃむにゃと眠りこけている。よっぽど疲れていたんだろう。それでも馴染んだ体温には敏感なのか、擦り寄るようにアイオロスの胸に頬を押しつける。その様子に、アイオロスは更に極まったように震える声で、心からの安堵に満ちた声を零した。
その声に、同じくアイオリアを探しまわっていただろうサガが安心したように微笑みを浮かべる。
「よかったな、アイオロス」
「あぁ・・・!本当によかった・・・っ。ありがとう、」
ぎゅ、と弟を抱きしめて私に顔を向けたアイオロスに、小さく笑いかけて肩を竦めた。
「いいや。見つけられてよかったわ」
心の底からそう思うわ。あの調子で1人で崖から落ちてたら即死だったぞ。しかもあんな所で死んだら誰にも見つけてもらえそうにないし。うわぁ、本当に見つけてよかったよ。おかげで私も危険だったけど。とりあえず、崖から落ちた、ということを言うのもなんだし(この状態でいえば更に錯乱しそうだし)あえて黙っていることにして、私は弟の帰還に大喜びしているロスを眺める。サガはその様子を微笑ましく、そしてどこか寂しそうに見ながら、笑顔を浮かべるとロスに向かって言った。
「アイオリアも見つかったことだし、帰って寝かせてやったらどうだ?アイオロス」
「そうだな。全く、こいつは・・・起きたら説教してやらないと駄目だな」
「あまり厳しくしてやるなよ?」
「ほどほどにするさ。それじゃ、先に帰らせてもらう。、本当にありがとう!」
「はいはい。どういたしまして。ちゃんと手当てもしてあげなさいよ」
「あぁっ」
そういって、あの時の取り乱しぶりは、と思うぐらい落ちついた様子で(よほど心配だったのねぇ)リアを抱えて自宮に戻っていくロスを見送れば、サガも私もこれで、と言って去っていく。同じくその背中を見送って、一人白羊宮に留まった私は、肩を落として前髪をかきあげた。それぞれの小宇宙は、真っ直ぐに宮に向かっている。アイオロスの傍には、リアの小宇宙が。まだまだロスのものに比べれば小さく貧弱なその小宇宙。それに目を眇めて、軽く目蓋を閉じると、私は苦味を帯びた微笑を口端に浮かべた。
「まだ、幼いわ」
せめて、もう少し待ってあげて欲しいと、願わずにはいられない。今日初めて会った子供。
無邪気で、可愛らしく、無垢な子供。今はまだ未熟。もう少し時間が経たねば、あれを完全に捉えきるのには不可能。まだ、しばしの猶予がある。・・・短い時間なのかもしれないが。
それも一つの星宿なのね、と呟いて、私もまた歩き出す。あまり望ましくないそれを、私はまだシオンに伝える気はない。時がくれば嫌でも知ることになるだろう。
そして抗えないのだ。はぁ、と溜息を零して記憶を巻き戻す。いっそ見間違いであれ、と思うのは馬鹿なことだろうか。追いかけるリア。その先には。
黄金の、獅子。