09:ベビーシッター・Lv10



「・・・・何をしておられるのですか、先生」
「子守り」

 聞こえた声に端的に簡潔に現状を告げると、ボールをぽーんと軽く放り投げる。
 緩やかな放物線を描いたボールは、離れたところで両手を広げているリアの所に向かって飛んだ。小さな両手で真上に飛んだボールをキャッチしようと伸ばしたのだが、目測でも誤ったのか両手を擦りぬけて青いゴム製のボールはリアの頭にあたって、ぽーんと後ろに跳ねていった。まあ、幼児用のボールだがらさして痛くはないはずである。
 高さもそんなになかったし、リア本人も気にしていないのか、自分の頭に当たって跳ねていったボールを追いかけて駆けていってしまった。走り出す前に、ボールを追いかけて上を見上げすぎ、後ろにまで仰け反った時にはこけるかと思ったが。子供の頭って大きいからなぁ。転々と転がっていくボールを、ぼてぼてとおぼつかない足取りで追いかける姿は微笑ましい。

「子守りとはまた・・・誰の子です?」
「アイオロスの弟。前にちょっとした騒動があってね。その時に懐かれたらしいわ」

 何が切欠でどうなるかわからないものよね。あんな恐怖体験した後だって言うのに、別段後遺症らしきものはないんだから図太いわあの子も。あるいは本能的に私が命の恩人だということがわかっているから懐いたのか・・・まあ、別に懐かれて悪い気はしないからいいんだけど。ぼてぼてとボールを追いかけ、追いついたリアがやっとボールを両手で掴み、抱えてこちらを振り向く。にこぉ、と頬を紅潮させ満面の笑顔を浮かべてこちらを見るので、私も微笑み返した。

ねぇちゃ、ボーユなげゆよー!」
「はいはーい。かかってこーい」

 ばたばたばた、とスマートさの欠片もない足取りでこちらに向かっていたリアの元気な宣言に、大きく答えを返しながら投げられるボールを待つ。両手を大きく頭の上まで振り上げ、青いボールを投げるリア。とはいっても所詮幼児の力と投げ方である。放物線を綺麗に描けるはずもなく。地面に叩きつけられたボールはポーン、と私に届く前に跳ねて、転々と転がってくる。足元に転がってきたそれを腕を伸ばして片手で掴み、きらきらとした顔でボールが投げ返されるのを待っているリアに向かって投げた。今度はリアに届く前にボールは落ちて、ぽんぽんと跳ねながらリアの足元までいく。それを体全体で受けとめるように捕まえながら、リアはまた大きく腕を振り被った。

「当の兄はどうしたのです?」
「修行だってさ。今頃どっかの荒野でサガと組手でもしてるんじゃない?」

 黄金とはいえたかが10歳の子供である。まだまだ学ぶべき事はたくさんあるのだ。
 修行を重ねていくのは至極当然のことでしょう。まあ、中々師事できるような相手がいないのも現実ではあるが。私が師事するつもりは前々ないんだけどね。言っとくが、本当に無関係なのだ、私は。だからこそ同年代でそして同格の2人で組手を行っている。
 幸いなのは、ロスとサガの性質が正反対というところだろう。異なった戦い方をする相手と組手をするということは、己の精進には不可欠だ。なまじ聖闘士は、あらゆる相手と戦わなくてはならない可能性を秘めている。冥界然り、海界然り。地上があらゆる存在に狙われているのなら、聖闘士には多様性が求められる。だからあれだけ色んなタイプがいるのよねぇ。蟹座なんて、その性質はまさしく冥界の人間そのものだ。なのにそれが聖闘士にいるということは、すなわちそのスキルが必要な敵がいるということに他ならない。
 一辺倒ではいられないのなら、異なる両者が切磋琢磨するのは当然だろう。

「あの子達以外の黄金は、今任務で出てるんだっけ?」
「えぇ。・・・射手座、双子座と次代が決まった今、新しい世代に移る時。それぞれ任務の傍ら、自らが師事すべき子供を見出そうとしております」
「そうね・・・特に射手座。あれが決まったのなら、今代に聖戦が起こる可能性も高いでしょうし」

 転がってきたボールを掴みながら、軽く指先で回す。きゅるる、と音をたてて回ったそれを、弾くようにリアの方に飛ばして。頭上を越えて後ろにいったそれを、リアは猫のように追いかけまわした。野原を駆ける姿は、和み以外の何物でもない。すぅ、と目を細めて、その様子を眺めながら薄っすらと笑う。こんなにも穏やかに、子供が笑い、遊び、日々が過ぎていると言うのに。その傍らで、戦いの為の準備を進めているというのだから、皮肉なものだ。
 この平穏を守る為に、平穏を壊す準備をしている――見出された子供は、不幸なのかもしれないな、と思いながらも。そっと視線を伏せた。私に、干渉する権限などない。しようとも、思っていない。ボールを捕まえ、倒れ込んだリアを視界にいれながら、ゆっくりと後ろを振り向いた。ふわりと、暖かな風に長い法衣の裾が揺れている。

「シオン。あなたもまた次を見定める時期なんでしょう?」
「目星はもう。しかし、何分私自身が動く事は中々できませんので」
「ま、教皇じゃね。だけど弟子ぐらい自分で迎えにいきなさいよ」
「はい」

 こくり、と仮面が上下に動く。しかしまあ本当にその仮面怪しいって。昼間に見ても怪しいのにこれを夜にみた私が、相手をふっ飛ばさなかったのはすごいと思う。
 銀色のそれを眺めつつ、視線を外して吐息を零す。いつか集まるだろう子供達を、思い浮かべてみて。不幸せなのかもしれない。だけど、幸せ、なのかもしれない。
 見出される子供がどう思うか。そんなの知ったことじゃない。そんなことに関わりたいわけじゃない。でも、例えば私が願うのなら。

「自分が思うように、生きてくれればいいけれど」
「は?」
「なんでもないわ。リア、こっちにきなさい。そろそろおやつにしよう」

 間の抜けた声をあげたシオンを両断し、ボールと戯れながら野原を転げまわっているリアを呼ぶ。お前猫か、と思ったけれど呼びかければパッと顔をあげて飛んできたから、犬かもしれない、と思った。飛び込むように抱きついたアイオリアを抱き上げて、後ろを向けばびくりと腕の中でリアが震える。・・・もしかして今までシオンの存在に気づいてなかったのか。
 それとも、こんなに近くにいる仮面が怪しすぎて怖いのか。どっちもあるだろうなぁ、と思いつつ、宥めるように背中を叩く。

「シオン。もし弟子に会うんだったら、その仮面は外しなさいよ」
「はい?またいきなり何を」
「子供にそれはきついわ」

 ほれこの通り、とリアの脇に手をいれて体から放し、シオンの前に突き出すと、リアは呆然とシオンを見上げ、それからじたばたと暴れ出した。落ちるよ、リア。

「やぁだぁ!!ねぇちゃ、こわいぃぃぃ~~~!!!」
「あぁうんうん。そうだね、怖いね怪しいね。でも一応こんなんでも教皇だから、そんな脅えてあげるな?」
「怖い・・・怪しい・・・こんなんでもって・・・!!」

 ガーン、とベタフラッシュ背負ってショックを受けるシオン。でも客観的に見て、怪しい以外の何者でもないから。子供にそこまで脅えられたのがショックで仕方ないのか(それとも私の発言か)暗雲背負いながら背中を丸めるシオンを尻目に、ぐすぐすと鼻をならしてひしぃ、としがみつくリアの背中を撫でる。うぅむ。本気で子供受けが悪い仮面だ。
 まあ、私でも確実に近寄らないからなぁ。知り合いでもない限りこんな仮面の傍にはいたくない。これが常識になってるんなら、まだいいんだけどね。

「ほらほらアイオリア。泣かないの。いくら怪しかろうと、ここでは立派な人間なんだから、ちゃんと挨拶しようねー?」
「うっうぇっ・・・あいしゃつー?」
「そうそう。初めましてをしようね。リアは良い子だからできるんだよね?」

 ぐしぐし、と丸い頬を汚した涙を拭きとってやりながら、微笑みを浮かべる。
 うるうる、と目を潤ませていたリアは、私の言葉にしばしの逡巡のあと、「あい」とこくりと頷いた。よしよし。というわけでいつまでも落ち込むなシオン。ここらで教皇の威厳を見せてみろ。

「怪しい・・・先生・・・そんなに私は怪しいですか・・・」
「そんな仮面している限り怪しい人間以外の何者でもないと思うわ。さて置いて、さ、リア?」
「あい!アイオリアです。2歳です。にいちゃはアイオロスです!!」

 手を伸ばしてVサイン・・・ではなく、年の数を示すリアに、シオンの小宇宙が穏やかに変わる。教皇、というよりは、今はシオン、として対峙しているのだろう。然るべき場ならば、この空気は厳かに変わり、教皇シオンが立つことになるのだろうが。シオンは、そっと皺の刻まれた細い手を自分の顔にかけ、ゆっくりと外していく。その様子を食い入るようにリアは見つめて、完全に仮面を外すと、シオンは薄っすらと微笑んだ。

「私は、シオンだ。――立派に挨拶ができたな」
「シオンじいちゃ?」
「うぅむ。まあ、今はそれでよいが・・・・・次に会う時は、きっと異なるであろうな」

 アイオリアの頭を撫で、微笑んだシオンは――一瞬、寂しそうに瞳を細める。
 そして、深く遠く、眼差しを深めて、リアから視線を外すと私を見た。その奥の、意味を汲み取り。私は、ふ、と笑みを零す。

「――獅子座に、連絡しておくことね」
「はい。・・・しかし、まだ、早いですな」

 ぽつりと、お互いに零し。リアは、不思議そうに私達を見上げる。その視線を受けとめて微笑みながら、ふっくらとした頬を指の背で撫でた。シオンには、やっぱり気づかれるか、と吐息を零す。腐っても教皇――元より、獅子座の聖衣が共鳴を起こしていたというのもあるのだろう。だからこそ、こうしてわざわざシオンがここまで出向いたのだろうから。

「ロスには、折りをみてそっちから言いなさいよ」
「わかっています。それもまた、私の役目でしょう」

 そう、とだけ言い残し。シオンは再び仮面をつける、リアの頭を一撫でしてから、さっと法衣を翻した。その様子を不思議そうに見つめて、リアが小さな手を振ってシオンを見送る。
 ――時は、躊躇などしてくれないのだな、と旋毛を見つめながら思った。

「さぁて、リア。今日は苺のタルトだってさ。苺は好きー?」
「しゅきー!!リア、いちごしゅきだよーっ」
「そっかそっか。んじゃあ私の苺もあげましょう」
「わぁいっ。ねぇちゃ、ありがとー!」

 にっこにこと満面の笑顔を浮かべるリアから視線を外し、ロスとサガの小宇宙を探る。
 とりあえず、おやつだよーっと伝えておかないとなぁ。しかし、シオンの奴弟子見つけた時は、ちゃんと仮面外さないとただの怪しい男でしかないよなぁ、と思い、そっと遠くを見つめた。ふふ。警戒されるシオンが目に浮かぶようだわ。そして内心で落ち込むんだろう、と思いつつ、あいつ本当に200過ぎた爺なのかとも思った。そういや今の黄金に私は会った事がないなぁ、と目を細め。黄金になる子供達はどれぐらいの年代になるのか、と首を傾げた。よもや、10歳未満の子がぞろぞろくるだなんて、その時の私は知りもしなかったのである。