05 せのび
「先生!それ僕にも持たせてください」
「これ?」
シオンの指し示すもの――担ぎ上げる大熊を視界に収め、は困ったように口元を歪めた。熊の身体はゆうに2メートルを越えている。腕だけでも大人一人、まともに持ち上げられるかどうかというほどに重たいのだ。聖闘士ならば可能だろうけれど、シオンも、そして同じように視線を向けてくる童虎も、まだまだ聖闘士とは名ばかりの見習いである。
しかも身体なんて未発達もいいところの、十にも満たない幼子に、さすがのもこの巨漢の狩人を持たせるつもりはなかった。例え山の中に放り出してこの熊と闘うように仕向け、尚且つそれをホラー映画を鑑賞するかのように聖域で眺め、弟子2人がまさしく命からがらこの熊を倒したとしても。殺せてはいない。そこまでのことはできなかった。気絶させたぐらいで。けれど、それだけできれば上々である。殺すという重み、知るのはまだ後でも良いだろう。命をかけた、というところに今回は意義があったのだから。
「まだ2人には無理よ。抱える前に圧死するわ」
「だいじょうぶですよっ」
実際問題抱えているように見えてその実、この熊はサイコキネシスで浮かせているのだ。サイコキネシスを得意とするシオンでも、浮かせることができてもそう長い間は無理だろう。
童虎もまた然り。浮かせたまま小屋までの長い獣道を歩くのは流石に無理というものである。しかし、無理だとはっきり言われたのが気に食わないのか、童虎が眦を吊り上げた。
駄々っ子のようだ。反抗期、というよりも大人がすることはなんでもしたい、とそんな子供の好奇心だろうか。あるいは熊を倒した、という自信の顕れかもしれない。実は私が影でやったんだけどなぁ、と思いながら北斗は目を細めた。しかしそれはそれ、である。
逃げれば生き延びれるサバイバルと、実際抱えれば確実に潰されて死ぬのがオチのこれとは別問題である。無理なものは無理なのだ。
「我侭言わない。さ、早く歩けー」
しっしっと追い払うように適当にあしらうと、むくれたように2人の頬が膨らむ。
思わずほっぺたを突ついて空気を抜いてしまいたい衝動を覚えながら、はさくさくと歩き出した。自分の力量を測れるようにならなければ、おのず見えてくる道は死である。
今出きる事、出来ない事、それらをまた教えていかなければなぁとは目を眇めた。どれぐらい、私は彼等に教えられるだろうか。
「師匠、持たせてくださいよーっ」
「だーめ」
「ケチー!」
「圧死するのがオチって言ったでしょ。持ちたいんならもっと大きくなることね」
まわりをちょこちょこと動き回る小動物、いや、童虎とシオンをは小さく笑いながら軽い足取りで家を目指していく。険しい山道をひょいひょいと越えながら、この熊どうしようか、と思考を巡らした。その間も弟子達は持たせて持たせてと訴えるが、華麗に聞き流している。
まだ死んでいない、暖かな体温を毛皮越しに感じながら、流石に殺すのも忍びなかった。
なにせこっちはこの大熊を利用したのだ。わざわざ気が立っている子育ての時期に縄張りに弟子を放りこみ、あまつさえはさりげなく更に熊の気を逆撫でするために子熊を攫ったのだ。母の怒りは烈火のごとく、だろう。その上、強制的に気絶させられたという、熊にとったら理不尽この上ない所業だ。弟子達が逃げまくったせいで縄張りからも結構離れている、という問題もある。ここは何事もなく返してやるのが礼儀だと、そう判断をつけるとは今だ五月蝿いシオンの頭をぺしんと叩いた。
「いたっ」
「いい加減うるさいわよ2人共。駄目なものは駄目。諦めなさい」
「うぅ~・・・僕達だってセイントになるんですから、へいきですよ~」
「まだまだ若輩もいいところな見習いが何を言うか」
「少しぐらいいいじゃないですかー」
「その少しで押し潰されでもされたら面倒なのよ。真似をしてみたいのも判るけど、自分達の体格や力をわかるようになるのも、強くなる秘訣よ」
自己を理解してこそ、更なる強さを身につけることが出来るのだ。好奇心はいいことだし、挑戦するのもいいだろう。しかし、明らかに無理なものにトライするのは、勇気ではなくただの無謀である。溜息を零しつつ、再び拗ねたように唇を尖らせる2人には苦笑を浮かべた。
「大きくなったら、ね」
自由な片手で頭を撫でて、はただそうとだけ呟いた。見上げた二人が、不精不精ながらも頷くのを見届けて、面をあげる。先を見つめる目に、自分が映らないことを知りながら、ただはそうとだけ呟くのだった。