10 卒業まで



『よぉ

 かけられた声に振り向けば、何時の間にかそこは真っ白な世界。人の形を模したような、実は人ではないような、曖昧な存在、けれど「絶対」が佇んでいる。眉をひそめて胡乱気に見やると、それは瞬く間に姿を変えた。私である。ただ浮かべる表情と、服装だけが違うそれは紛れも無い私であった。

「嫌味かそれは」
『虐めだこれは』

 うわ性質わるー・・・と思わずぼやくと、カラカラと楽しそうにそれは笑った。それは私の顔で私の姿でそして私の世界の服を着ていた。ピンク色のどこぞのギャルゲーかと思わずにはいられないそのセーラー服は、私が飛ばされるときにいつも着ているものである。何故かは知らないが決まって学校へ行く途中、あるいは下校中と、その制服を着用しているときに私は拉致られていた。あの制服には呪いがかかってるのかもしれない、と真面目に考える。今度蛇神先輩に御払いしてもらおう。固く決意しつつ、うんざりと肩を落として私は腕を組んだ。

「んで?なんでまた出てきたの」
『期限が近づいたからな。お前もそろそろ感じてるんじゃねぇか?』
「・・・今回は割りとあっさりなのね。前は大分面倒だったのに」
『俺に干渉するてだては最初から用意されていただろう』

 にやりと笑う、顔。自分の顔ながら、その表情は極悪である。まあ、違和感ないあたり「私」もそれをよく浮かべている、ということなんだろう。・・・これからちょっと控えようかなぁ。
 私の内心を知ってか知らずか(たぶん知ってる)そいつはふわりと椅子もないのに腰掛けた。すらりとプリーツスカートから伸びる足が組まれて、不遜な態度になる。
 そんな姿も自分で言うのもなんだが違和感がない。なんていうか、母上様と対峙しているみたいでなんとも、こう、複雑な心境である。

「何を企んでる?」
『言ったら面白くねぇから言わねぇよ』

 ていうことは企んでるのか。がっくりと溜息を零して、ぐしゃりと前髪をかきあげた。最早諦めの境地である。これをどうこうしようというのがそもそも無理な話で。
 世界をどうにかできる人間なんていないのだ。世界はただ世界であるだけで、そしてそれは私の母でも不可能なことだ。あれは私でもあるけれど私ではないのだ。やっぱりどうしても何も出来ないから、それの理不尽、神様の悪戯、とやらを甘受するしかない。諦めたように微笑んだ。

「まだ、もう少し時間が欲しい」
『あの餓鬼共か。随分と気に入ってるんだな?』
「子供は可愛いからね。慕ってくれる相手を無碍にすることもないでしょう」
『それでもお前は、お前を慕う存在を置いて帰るのを選ぶのか』

 それは、世界は、真理は、穏やかに微笑んだ。母のように慈愛に満ちて、父のように慈悲を帯びて、神のように見下した。

『お前は酷い女だよ、

 穏やかに微笑み吐き出された言葉に、笑みを浮かべた。そんなこと、当の昔に自覚している事柄だ。

「アンタに言われたくないね。もういいでしょ。期限が迫ってるのはわかった。さっさと狭間に戻りなさい」
『つれないねぇ。俺はお前でお前は俺なのに。邪険にすることはないだろう』
「寝言は寝てから言え。今までの所業忘れたとは言わせないわよ」

 人の意思全く関係無しに飛ばされたこのやるせなさ。睨みつけると、真理は私の姿で肩を竦めて、再び形無い何かに戻った。そうして、世界がノイズに包まれる。
 ザザァ、と砂嵐のような音が響き、白がぶれていく。色を取り戻し動き始める。真っ直ぐに佇む真理を見据えて、私は片手を振った。

「また今度ね」
『それまでせいぜい、お師匠様を頑張るんだな』
「だまらっしゃい」

 真理は最後に茶化すようにそれだけ残して。ノイズがひどくなる。周りが崩れて、色が溢れ出す。取り残された世界で、軽く目を閉じた。そうして気づけは私の目の前には除きこむ4つの瞳があった。薄くあいた瞼をゆっくりと持ち上げ、軽く瞬きを数度繰り返す。クリアになった視界に、物珍しそうな顔が一杯に広がった。

「あ、師匠やっと起きた」
先生、寝てたらだめじゃないですか」

 子供特有の高めの声が、不快ではない程度に鼓膜を震わせる。覗きこんで前屈みになっていた身体を起こして、童虎はにこぉ、と笑いかけてきた。

「師匠ってば呼んでも中々起きなかったんですよー?」
「そうですよ。何回も呼んだのに、全然起きてくれなくて」
「でもお師匠は寝起きが悪いから、あんまりしつこくできなかったけど」
先生が眠ってるの邪魔したらあの人みたいに半殺しになりそうだもんね」
「ていうかあれ確実に死んでたよな」
「生きてるのが奇跡なぐらいだったね」

 目の前でテンポよく、笑い混じりに交わされる会話をぼんやりと聞き入って、そういやこの前寝こみ襲われたっけかなぁ、と鈍い思考で考えた。自分で言うのもなんだか私は寝起きがあまりよろしくない。寝起きというかむしろ寝ているのを邪魔されるのが嫌いなのだ。
 忌々しい。おかげで普段なら手加減してやれることも、寝起きな分解放状態で、気がつけば血の海なんてざらにある。元の世界では暗黙の了解として私が寝ているときにちょっかいをかけるな、ということになっている。寝起きの私とやりあえるのは母上様だけだ。
 そんなことはまあどうでもいいとして、私は目の前をちらつく前髪をかきあげて、キャラキャラと笑う子供を視界に収めた。あと少ししかない。けれど、まだ期限はあるのだ。あーったく。

「童虎、シオン」
「「はい」」
「・・・・・・・・・・・・・次なにするんだっけ?」
「もーっしょうがないなぁお師匠。次は鬼ごっこですよっ」
「って嘘吐くな童虎!次は算数です、先生」
「あー!こらシオンっ。お前俺が嫌いなの知ってるだろー!」

 腕を上下させて怒りを露わにする童虎と、鼻で笑いながら、素知らぬ振りをするシオンを見つめて、頷く。

「んじゃさくさくやりますか。筆記用具一式持ってきなさい」
「「はーい」」

 声をかけてやればすぐさま切り換えて駆けていく。その小さな背中を見つめ、太陽がまぶしい空を見上げた。

「せいぜいお師匠様、頑張りますとも」

 ふてぶてしく笑いながら、私もまた歩き出した。