神様のバカ野郎
世の中不幸な生い立ちという人間は掃いて捨てるほどいるだろう。
そして多分自分はその「不幸な生い立ち」にある程度属する人間で、つまりさして珍しい人種でもない。けれど私は世界で唯一(いや、案外前例はあるのかもしれないが)の類稀な経歴を持った人間だろうと自負している。
簡潔に言うと、私は元女であり現男。もっというなら心は女で体は男。性同一性障害と一般では言うのかもしれないが、弁明させて欲しい。
好き好んでこんな状態になったわけではないのだ、いや本当に。本来私の性別は心と体がちゃんと噛みあっていた、つまり心身共に女だったのである。だが何が原因かは知らないが、唐突に私はこの世界に「落とされた」。あのときはまさしく「落ちた」気がしたのだ。
例えるならば、綱渡り。危うい一本の縄の上をよたよたと歩いていたかのように、唐突に道を踏み外して真ッ逆さま。そうして落ちた先は何故か見知らぬ外国の町、そして見知らぬ子供の中というサッパリ意味がわからない状況。孤児だったのか、親も親戚もわからないうち捨てられた子供の「中」に落ちた私は、それから今までの自分を捨てて子供からやりなおしな上に性別が変わっていたという、二段構えの悲劇だった。だからつまり、体は男で心は女という状況は仕方ないんだよ。かといってそれを表に出せるほどの勇気があるはずもなく、多少女っぽいのは仕方ないとしても男としてここまでやってきた。なんかもう色々と自殺したい現象は一杯あったが、それでも自殺は怖くて生きてきた。そしてなんとかよくわからない組織に友人に誘われて就職を果たし、数年。私は今とある組織に所属しており、その通信班という部門でひっきりなしにかかってくる世界各国の情勢、情報、伝達連絡を休む暇も無くこなしている中々充実した日々を過ごしている。本当に忙しすぎて目が回るぐらいの情報がひっきりなしに電話やゴーレムを通じてかかってくるわけで、左右の耳で情報を聞き取り他に回す作業なんて日常茶飯事だ。聖徳太子にでもなった気分だ。多分今なら前後左右から話しかけられても全部聞き取れるぐらいの脳みその発達の仕方してるんじゃないかというぐらい。・・まあ、そんな気がするだけであって、実際はそんなことはないだろうと思うが、とりあえずそんな忙しい日々をすごしているわけであって。だから休憩時間ぐらい、その名の通り心身を休めてゆったりしたいわけであって。決して貞操の危機に陥りたかったわけではないんですよ!!
「なに会ってそうそう人を襲おうとしてるんですか、ソカロ元帥・・・!」
「あぁ?ヤりたいからに決まってんだろうが」
「そういうことはもう少し歯に衣着せておっしゃってくださいね、元帥。ていうか廊下の真ん中で事に及ぶつもりもなければ、男とヤる趣味も持ち合わせていませんよ!」
言いながらギリギリと着実に近づいてくる元帥の顎を抑えて、懸命に押し返す。しかし元帥の両手は私の両脇に、まるで格子のように置かれてまるで離れた気がしない。むしろ近づいているような気さえ感じる。ただでさえ正面には二メートル近くある巨体が覆いかぶさるように立ち塞がっているので圧迫感が半端ではないのだ。
私だって今はそれなりの身長で決して小さくはないというのに、なんだこの圧倒的な圧迫感というか威圧感は。・・・まあ、それは戦場で戦う元帥と中でひたすら事務仕事をしている人間との差というものかもしれないが、それにしたって怖すぎる・・・!あぁぁぁしかもそうこう思考している間に顔近づいてるし!!力も半端ないなこの人!!見た目からそんなのわかりきってたけど!
ギリギリギリ、と手の甲に血管が浮き上がり、これ以上ないというぐらい力を込めているのに、着実に目の前の人の極悪人と言わんばかりの顔は近づいてくる。力だってはるか昔に比べたら根本的に今の方が強いはずなのに、押されてるって物凄く悲しいんですけどちょっとぉ?!咄嗟に顎ではなく相手の口元(いつもの鉄仮面はどうした!)に手の位置を変えて、口と口がくっつくことだけは阻止しようとすると、不愉快そうにソカロ元帥の目元の筋肉がピクリと動き、つまらなさそうに手首を捕まれた。ひぃっ?!びくっと反応すると、元帥はやれやれ、とばかりに覆いかぶさっていた体をどかし、近づいた顔も遠ざかっていく。それに思わずほっと胸を撫で下ろすと、唐突に手首をぐいと引っ張られた。
あぁ?!そういえば手首捕まれたままだった!素早く腰に手が回され(女の腰みたいに綺麗なくびれなんざないんですよ今の私の体は!)、捕まれていた手首を開放されたと思ったら、がしっと無骨で大きな手が乱暴に顎を掴む。ぎゃあ!
「いい加減お前も観念したらどうだ、。ヤるぐらい減るもんじゃねぇ」
「減りますよ!?色々大切なものがガリガリと磨り減りますよ!?主に私の精神と大切な何かが!そもそもあなた真っ当に女性が好きでしょう?!なんでよりによって男の私をそういう対象にしようとしてくれてるんですか変態!!」
唾を飛ばす勢いで喚き散らし、捕まれた顎の手を振り払うと元帥の厚い胸板に手をついてできる限り背筋を反らして距離をとる。あぁ、傍から見たら男同士でイチャコラしてるかのようなこの状態・・・目に毒過ぎる。むしろキモイ。イタイ。
悲しいかな、真ッ平らの・・元帥のような重厚な胸板があるわけでもなく、どちらかというと貧相ともいえる薄い胸板をぺしぺしと強調するように叩きながらさっさと放してくれ、とばかりに睨みつける。いくら貧乳、幼児体型と言われる女性でも女であるならば相応に柔らかみというか、丸みがあるものである。それが男と女の違いなのだろうと今の私ならば嫌というほど理解できており、残念ながら今の私は角ばった男のラインというものが、たとえ貧弱だろうが貧相だろうがあるのである。女に間違われるほどの秀麗な美貌を持っているわけでもなく、いやもう本当に真っ当に男の顔立ちしてるんですよ悲しいことに。美形っていえる顔でもないしなぁ。かといって目の前の人みたく悪人みたいな顔でもなく・・・えーと、普通?うん。普通。なんかその辺で普通に歩いてそうな顔だ。昔と同じく。
そんな中身はともかく外見上真っ当な男である私に!何故に真っ当に女が好きだろうにこの人は襲い掛かってきやがりますかねぇ!?あれか、ヤれれば誰でもいいとかいう趣向なんですかやめて私を巻き込まないで誰かヘルプミー!
「お前が抱いて欲しそうな顔してるから抱いてやろうとしてんだろうが」
「してませんよ、なんですかその妄想っ。キモイキモイ元帥まじキモイです!!」
「アァン?」
「すみません口が過ぎましたでも私はそんな顔してませんからね!!」
低く声を出されると、まるで恐喝されているようだ。反射的に謝罪を口にしながら(悲しきかなチキン根性)それでも変なレッテル貼られて堪るか!!と言い返す。全く、人の沽券に関わる誤解を周りに植えつけようとしないでください。幸い周りに人いませんけど、壁に耳あり障子に目あり!いつ何時何処で誰が何を見聞きしているかわっかんないんですよ!ていうかあんた男が抱いて欲しそうにしてたら抱くんですか?!それはそれでショック!
「なんで俺が他の男を抱かなきゃなんねぇんだ。気持ち悪いこと言ってんじゃねぇよ」
「すごい矛盾してません?!さっきと発言かみ合ってませんよ元帥っ」
「」
自分の低い声で叫べば、それよりも低い声で名前を呼ばれて一瞬喉が引き攣った。喉仏が動いて、ごくりと音をたてる。細められた目にまるで蛇に睨まれた蛙のごとく身動きがとれず、ぐいっと仰け反って離れた体を再び引き寄せられ、顔が近づいた。うぁ。
「テメェを抱きたいつってんだよ」
「断固拒否します」
まるで口説かれているみたいな台詞だが、騙されませんからね!!何が悲しくて男の体で男に抱かれなくちゃいけないんですが精神的に女でもなんか色々と不道徳すぎて泣けてきます。
そもそもあんた聖職者でしょ、見えないけど。そんな人間が神の御意思に反する行いはしちゃいけませんよ。生物っていうのは子孫を残すために生殖機能と性欲というものがあるわけでして、その場合子孫を残すためには男と女という真逆の性別同士が肉体関係に及ばないといけないんです。
神職者はそういうこともしちゃいけない、みたいな高潔さが必要みたいですけど、性欲を抑えるのは中々難しいし、別に真っ当な神父やらシスターをしているわけでもなし、その辺は別にどうでもいいんでしょうきっと。ていうか明らかに生臭坊主やってる人何人いるんですかここ。だけどさすがに同性同士の不毛な行いはやめて欲しいんですよ。否定しないけど私をそこに含めるのは勘弁して欲しいっていうか?あぁ、一応キリスト信仰のある職場にいる私ですが一切微塵も信じてない神様。(だってなんでも祀っちゃう民族出身ですもの)どうして男の体で男に熱烈に迫られなければならないんでしょうか。かといって女性に迫られても受け入れがたいんですけど。ていうかあれですよ精神的に女なんだから別によくね?という問題でもないというか私にも好みというものはあるわけであって、少なくともこんな極悪人の神の使徒はタイプじゃない。タイプじゃないっていったらタイプじゃない。どっちかというと科学班のリーバー班長とかが好みというかえぇとだからつまり。
「神様のバカヤロー」
ということかなこれは。