続神様のバカ野郎



 一仕事終え、弾むような足取りで廊下を歩く。なにせ今日はジェリーさんお手製新作スイーツが食堂のメニューに並ぶ日だ。どんな不幸が重なったのかわからないが、男となってしまった今でも甘いものは好きである。人並み、ではあるが新作スイーツと聞いて心弾まない女の子はそう多くないはずだ。体が男?中身は女のままなんです!・・・まあ、見た目が男な分、素直に表に出すのも憚られているが、仲間内では私が甘い物好き、という風に認識されているのでさして変な目では見られない、はずである。かといってあからさまにウキウキしていると何も知らない人から見るとあんまりよろしくないだろう、とは客観的に考えられるので自重はしている。まあとにかく、そんなささやかな幸せを味わいながら雰囲気のある廊下を歩いていくと、角からにゅっと伸びてきた足に不意をつかれ、ぎょっと目を見開いた。

「なぁっ?!」

 絶妙のタイミングだった。回避するにも不可能、かといって体勢を立て直すのも難しい、そんな神懸り的タイミングで伸びてきた足にがつっと見事に蹴躓き、前のめりにべしゃぁ、と廊下にすっ転ぶ。荷物を持っていたわけではないので、自由な両手で受身を取ったが強かに打ちつけた膝と掌が地味に痛い。ついでに引掛けた側の足も痛みを訴えつつ、私は四つん這いになったまま、ムカッと眉間に皺を寄せた。誰だ、こんな性質の悪い悪戯を仕掛けてきた奴は!!
 文句の一つも言ってやろうと、ぐるりと後ろを振り向く。瞬間、振り向いた先に立っていた人物に、私は顔面から血の気が引く音を聞いた。ひぃ、という潰れた悲鳴を喉奥で零せば、その人はニヤリ、と口角を持ち上げて悪人さながらの笑みを浮かべて見せる。

「よぉ、。相変わらず間抜け面を晒しているな」
「ク、ク、クロス元帥・・・っ?」

 第一声からして人を小馬鹿にしきっている調子で、火のついたタバコの先から煙を立ち昇らせて笑う男・・・クロス元帥に、私は廊下に座り込んだまま這うように後ろに下がった。
 な、何でこの人ココにいるの・・・?!本来、いるはずがない、というかいても別にいいんだけど、この人に限りその普通が当てはまらないのが常なので、いない人物の突然の帰還に瞬きを幾度も繰り返した。
 帰ってたのか、と慄きながら、人を見下ろすどころか見下しているクロス元帥を見上げて、人をすっ転ばせておきながら悪びれた様子もない態度に、ちょっと泣きそうになった。いや、別にこれは私が涙腺が弱いだとか泣き虫だとか弱虫だとかそういうことじゃないんだよ。なんていうか半分ほど条件反射というか、なんでか知らないけど私この人に目をつけられて会うたび会うたびなんか虐められるんだよ本当に!!いやもう本当になんでだろうね?!ソカロ元帥に迫られるぐらい意味がわからない。
 私の中で、クロス元帥とソカロ元帥はブラックリスト2トップを飾る最重要危険人物だ。会うたび会うたびいびられる私の身にもなって欲しい。私はこの人に何かしただろうか、と過去を振り返ってもそもそも接触した覚えすらないというのに、気がつけば何故かいびられる始末。そう・・今回のようなことでも、積もりに積もればトラウマものだ。幸いなのは、教団にこの人は滅多に寄り付かないので接触が少ないということだろうか。でも接触したらこうしていびるんだから、出来るならば会いたくない人物なのは確かだ。あぁ・・・折角の幸せな気分も恐怖に染まりきってはどうしようもない。喘ぐように口を数度開閉し、私は引き攣った声で問いかけた。

「か、帰っていらっしゃったんですか・・・」
「なんだ?俺が帰ってきて何か不都合なことでもあるのか?」
「いいえ、滅相もない!」

 本当はありまくりだが、言えば何をされるかわかったものじゃない。震える声でぶんぶんと首を横に振って、私はそろそろと立ち上がり、衣服についた埃を軽くパタパタと払った。
 そのまま一歩後退しようとすると、がしぃ、と力強く肩を掴まれる。ぎゃあっという悲鳴が零れそうになって、咄嗟に両手でがぽっと口を塞いだ。そしてそろそろと目線を向ければ、ニッコリと笑う、顔。整っていることは認めるが、邪悪でしかない笑顔に私のチキンハートは震え上がるばかりだ。
 ソカロ元帥に「抱かせろ」だのなんだのと貞操の危機に陥って顔面蒼白にするのも嫌だが、この人に絡まれて血の気を引かせるのも同じぐらい嫌だ。ていうかこの二人の元帥はどうして凡人に構うの!お願い、女好きなら女好きらしく、真っ当な女性の所に行ってよっ。私は今不本意だけど体は男なんですぅぅぅ!!あ、でも女だったらすでに食われている可能性もあるのか。男万歳!?
 泣きたい、とさめざめとした私の内心など気にかける素振りもなくクロス元帥は掴んだ肩からするりと腕を首に回し、まるで肩を抱くように引き寄せてきた。ぞわぞわと走る背筋の悪寒が外れてくれますように。
 必然的に、顔の横に彼の顔がくるような密着した体勢になり、あぁ逃げ場がない、と軽く絶望してさっと顔を横に逸らした。ふぅ、と彼の口から吐き出されたのだろうタバコの煙が、顔の辺りを漂って軽く咽こみそうになる。眉間に皺を寄せれば、元帥はなぁ、と低く声をかけてきた。耳元で聞こえる声に、ぞくっと産毛を逆立てながら弱弱しく返事する。

「はい・・・」
「部屋の鍵、よこせ」
「はい・・・?」

 ホワッツ?突然の申し出に、首を傾げて元帥を振り返る。存外に近くにあった顔にうわっと仰け反りながら、なんでもないことのように半目でタバコの煙を肺に取り込むクロス元帥に、恐々と問いかけた。

「な、なんでですか?」
「俺が寝るためにだ」
「なんで私の部屋で?!ご自分の部屋があるでしょうっ」
「あぁ?・・ちっ。いいから鍵よこせつってんだよ。黙って出せ」
「どこのカツアゲ?!元帥柄悪すぎますっ。休むならどうぞご自分の部屋でっ」

 それか女性の部屋に行けばいいんじゃないか?!あなたなら皆喜んで止めてくれるでしょうよ私は心身ともに女でもご免だがな!!ヤクザというかマフィア?顔負けの脅しに震え上がりながらべりっと肩に腕を回す元帥を引き離し、ずざっと音をたてて距離をとる。嫌だ、私の憩いの場所がこの人によって汚染されるのは嫌だ。ていうか私今日部屋に入れなくなるじゃん・・・!いつまでいるのか知らないけどっ。ちょっと誰かー!誰かこの人引き取りにきてぇぇぇ!!
 そんな私の態度が気に食わなかったのか、不機嫌そうに眉間に皺を寄せて元帥がこれみよがしにタバコの煙を顔に吹き付けてきた。うわっけふっごほっ。

「ちょ、元帥煙たいです・・っ」
「煙たいようにしているからな。お前、俺の部屋の惨状知ってるだろう。俺にあんなところで寝ろっていうのか?」
「あの惨状にしたのはどこの誰です?!掃除すればいいじゃないですかっ」

 この雰囲気のありすぎる教団内部で、クロス元帥の部屋はこれまたお化け屋敷と言われても可笑しくない惨状だ。
 酒瓶の転がる床、蜘蛛の巣の張り巡らされた天井、家具だけは無駄に豪華なものらしいが、捨て置かれてもう何年目か。当初の面影などないに等しい。とはいっても、私は彼の部屋がちゃんと部屋として機能していた頃を知っているわけではないのだが。
 身勝手といえば身勝手すぎる言い分に、部屋が可哀想ですよと言って、じりじりと彼から距離をとった。このままだと、鍵を無理矢理奪われてこの人私の部屋を酒瓶で一杯にする・・・!それは嫌だ。ついでにヤニ臭い部屋も嫌だ。逃げようと思うのに、元帥という立場についているだけになんというか、動けない。隙がないというのかなんというか、蛇に睨まれた蛙のごとく動けないのだ。これならソカロ元帥の方がまだ抵抗できる分、もしかしてあの人結構手加減してくれていたのか?と内心で首を捻った。だからといって感謝しようとは一切思わないが。会うたびに貞操の危機に陥っていたら誰だって感謝の心を捨て去るというものである。あの人もいい加減にして欲しい、とそう思いながらふるふると肩を震わせていれば、クロス元帥はふぅ、と溜息をついて肩を竦めた。

「まあ、部屋を貸さないっていうんなら、代わりに金を貸してもらうことになるが」
「どうぞ鍵です。お納め下さいクロス元帥」

 腰をきっかり45度に曲げて、両掌に鍵を乗せて、恭しくクロス元帥に差し出した。
 守銭奴という勿れ。返って来る確立などほぼないに等しい相手に、誰が好んでお金を貸すというのだ。しかもどれだけの金額をせびられるかわからない。クロス元帥の悪評は、そこそこ長い時間ここにいるものならば誰でも一回は聴いたことがある代物だ。そして非常に不本意だが、度々接触している私がその噂を知らぬはずもなく、またそれが事実なのだとわかっているだけに関わりたくないと思ってしまうのも無理からぬことだろう。そして一度貸してしまえば、今度から会うたびにお金を毟りとられるような気がする。気がするというか、リアルに想像できる未来だ。・・借金の肩代わりにまでされたら私もうやってけない。差し出した鍵を満足そうに受け取るクロス元帥に、しくしくと泣きながら私はガックリと肩を落として溜息を零した。

「なんで私に構うんですかぁ・・・」

 ぽつり、と呟けば返ってくるのは無言ばかり。あぁ、そういえばこの問いかけをしても、一度も答えなんて返ってきたことはなかった。再び重たい溜息を零して、私はのろのろと顔を上げた。だが、何故かクロス元帥の微妙に顰められた顔と目が合い、思わずひぐっと喉の奥を詰まらせた。こ、怖っ・・。え、なん、元帥なんでそんな極悪な顔してるんですか・・?!

「げ、元帥・・?」
「・・・・知るかよ」
「え?なにがですか?」
「うるさい、黙れ馬鹿」

 馬鹿って・・・!問いかけただけなのになんでそこまで言われなきゃいけないの?!理不尽、相変わらずすごい理不尽!!ガーン、とショックを受けたが睨み付けるように怖い顔で睨まれたら大人しく黙るしかない私はどうせチキンですよ。いいんです、だって中身は女なんだから・・・!
 そのまま不機嫌そうに短くなったタバコを廊下に落とし、ぐりぐりと靴底で火をもみ消す元帥に顔を顰めた。ポイ捨てはいけないと思うよ。しかもここ屋内。だけどいえない私はやっぱりチキンハート。後で拾っとこう、と思いながら、深々と項垂れた。
 うぅ・・まあ、部屋が一時的に占領されるだけで、いつものことを思えば被害は少ない、というものだろうか。扱き使われるりマシ、と自分を慰めて、さっさと出て行ってしまえ、と内心で愚痴を零した。

「では、失礼しますクロス元帥・・・」
「あぁ、おい、
「はい?」
「部屋に俺の食事を持って来い。ついでに酒もだな」
「・・・あの、私、あなたの召使では・・・」
「いいな?」
「はい、クロス元帥」

 うふふ、逆らえるわけねぇよこんな俺様野郎に!!キラッと目の端に光るものを輝かせながら、引き攣った笑顔を浮かべて見せた。あぁ・・・これで持ってくるのが遅かったら蹴り倒されるんだろうなぁ、と鍵のついたキーホルダーに指先を引掛け、くるくると回しながら悠々と歩き去っていく大きな背中を見つめて、私はずーん、と壁に手をついた。

「・・・転職、しようかなぁ・・・」

 だけどここ以上に給料も生活水準もいいところはそうそうないので、その考えはいつも頓挫してしまうのだが、こういうときばかりは、真剣に考えてしまうものである。あぁ、神様。どうして私はこんなにも厄介な人物に目をつけられてしまったのでしょう。アンタのせいだろそうだろう。ああ、ちくしょう・・・っ。

「神様なんて大っ嫌いだぁ・・・!」

 私の怨念は、廊下に木霊することもなく消えていった。