お犬様のお通りだ
犬がいる。わんこというほど可愛らしいものではない、大型犬が泥まみれになってそこにいる。にこにこ何が楽しいのか(穴掘りか)満面の笑顔で、背後に屍のような後輩を背景にして、目をきらっきらさせている。その顔をいつものようにぼんやりと見上げながら瞬きをすると、大型犬は穴掘りに使っていた苦無をいそいそと仕舞って、泥だらけの手を伸ばしてきた。このまま触られると私も泥だらけになるなぁ。それは嫌だなぁ。面倒くさいなぁ。そう思うと、手が届く前に一歩後ろに下がった。きらっきらしていた目がショックを受けたように丸くなった。ついでに眉毛もへちょーんと下がって、目に見えて彼のテンションが落ちる。
「・・・」
「泥だらけは嫌です」
簡潔にそれだけ述べると、彼は瞬きをして自分の両手を見下ろした。両手と言わず全身確認して頂きたいが、まぁいいか。自分の両手が真っ黒になっているのをやっと自覚したのか、あ、という形に口を丸くさせて、ぱっと顔をあげた。
「すぐ洗ってくる!」
「いってらっしゃい」
大声で言わなくても十分聞こえるが、あえてそこには突っ込まず頷いて走り出した彼を見送った。多分そう時間はかからないんだろう。しかしここにぼんやり突っ立っているのもなんだかなぁ、と思って地面に突っ伏す屍、もとい体育委員達を見下ろすと近くにいた同学年の子を揺さぶった。
「皆本君、生きてる?」
返事がない、ただの屍のようだ。あながち冗談でもなさそうなありきたりなフレーズを口ずさんで、軽く揺さぶる手を止める。体育委員会の活動は熾烈を極めるというので(会計もそうらしいが)、今回も体力の限界を大幅に超える活動を強いられたのだろう。比較的委員会後も動けるらしい四年生の平滝夜叉丸先輩も今回は死んでいるので、よっぽど何かしたんだろうと思われる。生憎現場を知らないのでどんなことをしたのかはわからない。
ただ現在の状況的に、塹壕をひたすら掘りまくっていたことだけはわかっているが。
うねうねと縦横無尽に、なんの法則性も感じられない穴の道を眺めて、犬というよりもぐらか?と首を傾げた。
「ーーー!!!」
「・・・ん?」
犬ではなくもぐらだったか、と認識を改めていると、遠くから名前を呼ばれて緩慢に首を向けた。しかし振り向いている間にあっという間にそれは目の前まできて、呼吸を一つも乱さずずいっと両手を突き出した。開いた掌を見せ付けるように出されて、瞬きを一つこなす。
「手、洗ってきた。服も着替えた!」
「綺麗になりましたね」
「あぁ!これでいいか?」
そういって期待に満ちた表情でじぃ、と見つめてくる七松先輩を見つめ返し、好きにどうぞ、と気のない答えを返す。しかしそれでも十分なのか、パァ、と辺りに花を散らせていそいそと手を伸ばした七松先輩は私の脇の下に手を差し込み、ひょいっと簡単に抱き上げてしまった。たかが五歳、されど五歳。体格差ってすごいのねぇ、と感心しながら七松先輩のがっしりとした腕をお尻の下にし、いつもよりも高くなった視点で体育委員達を見下ろす。
くんくんと頬を擦り寄せてくる犬、もとい先輩を好きにさせながら、近くの皆本君を指差して首を傾げた。
「保健室に連れて行かないんですか?」
「え、必要か?」
「見た目的に必要ではないかと」
「んー。がそういうなら!」
そういって、しょうがないなー、と私をひとまず下ろし、委員たちに手を伸ばす七松先輩を後ろで眺める。ひょいひょいひょい、と後輩を担いでいく様子はさすがというべきか否か。
とりあえず一度で四人を運ぶことは不可能なので、重症と見られる一、二年だけを両脇に抱えてこちらを振り向いた七松先輩にこくりと一つだけ頷いておいた。だってぴくりとも動いてないし。
「すぐ戻ってくるからな!ここで待っていてくれよ、」
「はぁ」
「いけいけどんどーん!!」
あぁ、そんな全速力で走ったら彼ら酔うんじゃなかろうか。意識ないけど。いつものように声高に掛け声をかけて駆け出していく背中をまたしても見送り、こてりと首を傾げる。
近くにはまだ意識の戻らない三年生と四年生がいたが、私ではどうすることもできないので七松先輩が帰ってくるのを待つしかない。いや別に私がここにいる必要は本当の所ないのだけれど、待ってろと言われたので待つしかないか、と諦めたように空を見上げた。
どうせここから去っても追いかけてくるのだ。犬のように尻尾を振って、目をきらきらさせて、待っていろと言ったのに、と少し拗ねて見せて、それから暑苦しくくっついてくるのだろう。
「懐かれたなぁ」
しみじみと呟いて、ピーヒョロロ、と鳶の鳴き声を聞き流した。