人生は、疾風怒濤



 父が体調を崩したという報せを親戚から寄越され、急遽帰国したというのに当の父親から門前払いされた娘の心情を答えよ。

A. 頑固親父マジめんど。

 報せをくれた親戚の叔母さんの困ったような申し訳なさを表す眉尻にやんわりと気にしないで、と声をかけて病院から出るとガタゴロとキャリーケースをアスファルトの上で引き摺りながらどうしたものかな、と少し燻んだ青空を見上げた。夏ほどには濃くはなく、冬ほどに遠くもなく、ぼんやりと霞みがかった空にかかる雲は白い。太陽にかかり、カサを作る様子を眺めながら実家を目指した。タクシーを捕まえてもよかったが、久しく訪ねなかった地元を回りながら帰るのも悪くはないだろう。なにはともあれ、生きていてよかった。決して楽観視できるようなものでないことは医師から聞いたが、さりとてすぐに命がどうこうなるものでもないらしいので、とりあえずよかったと言うほかない。
 実家を出てから数年ばかり。異国での生活は目まぐるしく、最初の数年などはあっという間で、正直そこまで時間が経っていたようには感じなかったが、久方ぶりに見る父は大分年老いていて、病院というシチュエーションも重なり時間の経過を感じさせるには十分だった。街の風景も、大分様変わりしている。見知った店はなくなり、新しい店が建ち並ぶ。古い住居はリフォームしたのか、はたまた住民そのものが入れ替わったのか、真新しい団地や見慣れぬ家屋が建っている。ノスタルジーに浸れるような、浸れないような、新旧入り混じる様子に吐息を溢すと、可愛らしい制服をきた容姿端麗な少女たちがプラ容器に入ったドリンクを片手に雑談を交わす姿が目に入った。白いプリーツスカートに、ラベンダー色のパフスリーブ。太腿まで隠すニーハイにローファーを履いた瑞々しい少女たちの姿は通り過ぎるヒトの目を知らず引き寄せる。一見してギャルゲーか乙女ゲーかと思うような制服だが、あれが正式採用された現実の学校制服なのだから、デザイナーは大分趣味に走ったのかな、と思う。ニーハイを正式採用するってあんまりない。可愛いんだが、中々に着るものを選ぶ制服だ。ーー実際、あの制服は選ばれたものしか袖を通せないのだが。
 道行くヒトたちの好奇を誘うのは、その制服もさる事ながら1番は雑談に興じる少女たちの頭の上でピルピルと動く、つるりとした体毛に覆われた三角の耳に、さらさら揺れる毛並みが目立つ尾骶骨から伸びる長い尻尾ーーヒトが持ち得ぬ、ヒトと異なる部位を持つ、その姿。

ーーウマ娘。

 耳と尾に、ヒトでは到達できない強靭な脚を備えた、走る為に生まれた生き物。
 とある一説では、異世界の名バの魂と名を受け継いで生まれてくるという…まあ、眉唾ものな伝説もある、そんな存在だ。何故か女子しか生まれないのも、余計にそんな信憑性に欠ける説を生み出す一端を担っているのかもしれない。そもそも異世界の名バが何か知らないし、解明のしようもないのだから(するにはその異世界を探さなければならないわけだし)御伽噺みたいなものである。
 さておき、この近辺で見かけるウマ娘、更にあの目立つ制服を着ているウマ娘といえば限られている。

『日本ウマ娘トレーニングセンター学園』

 通称トレセン学園と呼ばれる、ウマ娘のみが通う学校だ。特に中央トレセンと呼ばれる東京に居を構えるこの学園は、各地方に構える学園とは一線を画す選りすぐりのウマ娘が通う学園であり、現在の日本最高峰のウマ娘養成施設である。
 この学園に通えるということはそれだけ能力の高さを認められているということであり、また将来有望なウマ娘であるという証左なのだが…逆に、レベルが高すぎて入学できても挫折するモノが後をたたないとも聞く。化け物しかいない学園だとの話だ。そんな有名な学園の制服を着たウマ娘なのだから自ずと視線が集まるのは当然だろう。加えて、彼女らは皆容姿が整っている。単純にその美貌に目が惹かれるのも無理はない話しだ。
 きゃらきゃらと笑い合う彼女らを横目に通り過ぎ、ガタガタとキャスターが道路の凹凸に跳ねる音を聞きながら数年ぶりの実家に辿り着く。預かった鍵を使って玄関のドアを開け、薄暗い廊下に外からの光が差し込む。しん、とした家の中は家主のいない物寂しさを語りかけるようで、吸い込んだ少し埃っぽい空気に鼻を膨らませ荷物を詰め込んだキャリーケースを持ち上げて家の中に入った。辿り着いたリビングはあまり記憶と相違はなく、ほっと息をつきながら荷物を置いて冷蔵庫に向かう。
 開けた冷蔵庫の中身はガランとして、納豆と漬け物、豆腐、プラパックに入った食べかけの惣菜、封の開いたソーセージが残っている。横を見れば牛乳とペットボトルに入ったお茶と卵が並んで、とりあえずお茶を取り出して食洗機に残ったままのコップに注ぐ。今日はとりあえず外食か、スーパーで何か買ってくるかな、と夕食の算段を立てながらリビングに戻ってテレビの電源を入れると、パッと映った映像に目を眇めた。

『さぁ始まりました全てのウマ娘が目指す頂点日本ダービー!歴史に蹄跡を残すのは誰だ!』

テレビのスピーカーからファンファーレが響き渡る。犇めき合うスタンドの観客から流れるようにカメラがターフを映し、青々とした芝生を踏み締めながら、鮮やかにドレスアップした美少女たちがゲートに吸い込まれていく様を流していく。
 画面に映る彼女たちの顔は気迫に満ち、誰もが真っ直ぐに先を見ていた。実況アナウンサーが、枠番と参加ウマ娘の名を読み上げていく。会場にいれば、熱気と歓声が身体を震わせたことだろう。カメラがヒトリのウマ娘を捉える。アナウンサーが、彼女がダービーの有力候補であることを伝えて、解説役が仕上がり具合を口にする。1番人気、2番人気、3番人気。ゴクリ、と麦茶が喉を落ちた瞬間、ガシャン、とゲートが開いた。一斉に飛び出す華やかな優駿たち。縦に伸びていくバ群をしばらく眺めて、徐に視線を外した。リビングのチェストの上には、いくつかのトロフィーとメダルが飾られている。コップを傾けながら、レースの実況を右から左に聞き流し、ぼんやりと呟いた。

「仕事どうしよ…」

 父が脳梗塞だと聞いた時から、介護に従事なければならないと職場を辞めて帰国したので、今の私は全くの無職である。まあ、帰ったところで当の父親に病院から門前払いされたので、介護も拒否される可能性があるが。見た所身体的に後遺症が残っているわけでもなさそうなので、確かに介護の必要はなさそうだ。それは助かるが、しかし、父親がこうなってしまえばいつ何時どうなるかわからない。海外に特に未練があるわけではないので、仕事を辞めたことも帰国したことも気にしてはないが、無職というのはなんとも居心地が悪く、心許ないものだ。どさ、とソファに座り、緑のターフを駆け抜けた少女たちを讃えるアナウンサーの興奮した声にあぁ、と瞬いた。

「見損ねたな」

 ダービーを勝ったウマ娘はどの娘だったんだろう。少し考えたが、まあいいか、とレースを終えた番組からチャンネルを変え、代わりに映った再放送のサスペンスドラマに、これ何回目の再放送かな、とキャリーケースの片付けも後回しにテレビを見続けた。





「センセー!!みてみて、一昨年のテスト3点取れたんだよー!」
「うんうん知ってるよ。それ点数つけたの先生だからね」
「あ、そっかー!えへへ。嬉しくて先生にお話したかったから忘れちゃってた」

 赤字で3点が書かれた小テストの答案用紙を掲げて屈託なく笑うピンク色の少女に苦笑しながら、頑張ったね、と頭を撫でる。頭部から生える耳がぺたん、と倒れて、えへへ、と緩んだ口元と同時に尻尾がパタパタと揺れた。

「次は5点目指そうね」
「はぁい。あたし、もーっと頑張るね!」
「無理しない程度にね」

 学業を疎かにしてはいけないが、彼女らの本分はレースなのだから支障が出ない程度に頑張って欲しい。もっとも、このウマ娘にはまだ専属トレーナーはついていないのだが。薄らと紫が混ざったようなピンク色の双眸は、色の濃淡がそう見せるのか5枚の花弁が浮かんでいるような不思議な虹彩を煌めかせ、彼女の名前に相応しい桜を咲かせている。ウマ娘は、容姿だけでなく時折こんな珍しい瞳を持つ子がいるから、見るだけで飽きない存在だ。鑑賞用、と言われてもなんら不思議はない。最も、彼女らが輝くのはショーケースの中ではなく、ショーレースの上なのは常識だが。
 模擬レースの戦績も芳しくはない彼女だが、挫けることも諦めることもなく日々を明るく楽しく過ごしている姿は知らず元気を与えてくれる。屈託なく慕われるとむず痒いほどに純粋すぎて、ちょっとばかり心配になるが…悪いトレーナーに捕まらない事を祈る。

「ほら、午後はトレーニングでしょう。遅刻してしまうよ」
「ウララさん!!」

 トレセン学園のカリキュラムは午前は一般教養を含めた座学がメインで、午後からレーストレーニングや、ウイニングライブを見据えたダンスやボイストレーニングと言った体育がメインになっている。というか、彼女らの本分は基本的にそちらなのだから座学などほぼオマケのような物だ。かといって、レースだけがウマ娘生の全てではないので疎かにされても困るけれど。彼女らの全盛期は、ヒトよりも短い。その後をどう過ごすのか、選択肢を選べるようにも、午前中の座学は欠かせないと考えている。それはともかく、このままでは午後の時間さえおしゃべりでうっかり潰してしまいそうな様子に折りを見てトレーニングを促せば、それに被せるように溌溂とした鋭い声が飛んできた。視線を向ければ、焦げ茶色の髪を靡かせて青い耳カバーに緑のリボンを付けた少女が眉をキリリと釣り上げて仁王立ちをしていた。

「あ、キングちゃんっ」
「あなたという方は!午後はこの私と並走トレーニングがあることを忘れてないかしら!?」

 ズンズンと肩を怒らせて歩いてくる様子に、大分ご立腹だなぁ、と事の成り行きを見守る。きょとん、としていた少女は怒る友人の姿に目を丸くして、そうだった〜!!とピン、と尻尾を伸ばした。

「ごめんねぇ、キングちゃん。テストの点数が上がったから嬉しくって…」
「全く。目先の事にすぐに夢中になるのはあなたの悪い癖…点数があがったの?」

 見ているこちらが罪悪感を覚えるほどにしょんぼりと落ち込む姿に、先程までの怒りはどこへやら。眉間の皺を解して腕組みをした少女は、溜息を吐きながらはたと気がついたように瞬いた。

「うん!見てみてキングちゃん。前のテストから3点も上がったんだよ!」
「3点、…って、あなた、前回0点だったの!?」

 燦然と輝く答案用紙から前回の悲惨な点数を瞬時に悟ったのか、頭を抱える姿に苦笑いを禁じ得ない。…まあ、救いはあくまで小テストの点数なので、本テストまでの伸び代があることだろうか。後で彼女用のプリントでも作っておこう。

「…点数はさておき、フタリはトレーニングがあるんじゃないのかな?」
「っそうだわ!ウララさんのテストについては後で対策を練るとして、行くわよウララさん」
「はぁい!先生、また明日ね!」
「失礼します」
「頑張って」
 
 まあ、頑張りすぎるほどに頑張るのが彼女たちなので、ほどほどに、と返すべきだったかもしれない。ブンブンと手を大きく振りながら去っていく少女たちを見送って、さて、と踵を返した。

「プリントでも作るかぁ」

 片手に教科書を抱え、長い廊下をゆっくりと歩き始める。すれ違う生徒には皆耳と尻尾があり、白いプリーツスカートがひらりと翻る。
 先生さようなら、という声に返事をしながら廊下の窓から外を見れば、体操服姿の女生徒達が走っていく姿が見えた。
 ここからは見えないが、彼女たちが向かう先は学園併設の競技場だろう。膨大な敷地内に建てられた数々の施設は、彼女たちを一流のウマ娘にするための莫大な投資の証だ。

 ーーここはトレセン学園。

 将来有望なウマ娘が通う、日本一のウマ娘専用トレーニング施設である。
 まさかその学園に勤めることになろうとは、人生どうなるかわからないものだなぁ。